雪見

 濃い藍色の闇に染まった空には、霞みがかってもなお、柔らかい光を放つ月が輝いていた。そして、藍色の闇の中から舞うのは、純白の雪。
 誰の邪魔も入らず、静かなその景色は、何処か幻想的で美しく見える。
 不意に、フワリとその場に漆黒の影が現れた。影の周りを同じ漆黒色をした蝶がフワフワと舞った。
 その姿を確認して、静かに景色を見ていた日番谷が動いた。
 同時にその気配を感じた影――桃が、後ろを振り返った。口元に自然と柔らかで暖かい桃特有の笑みが浮かぶ。
「日番谷君」
 小さく手を振りながら、桃は小走りに日番谷に駆け寄る。
「今、帰りか?」
「うん。そうなの。思ったより時間食っちゃった」
 そう言って、桃が小さくクスクスと笑った。
 桃は今日、現世へ仕事で行っていた。そう対して時間のかかる仕事ではなかったのだが、一つ、ミスが見つかった為に時間がかかってしまったのだ。
 そして、ようやくミスを直す事も含めた仕事が終わって、尸魂界に帰ってきたばかりだ。
「……日番谷君はここで何してるの?」
 当然と言えば当然の質問を桃がした。
 今居る此処は五番隊隊舎へ向かう廊下である。桃は五番隊の副隊長なのだから、此処に現れて当然なのだが、日番谷は十番隊の隊長だ。此処に居るのは少々、可笑しい。
「……雪見してたんだよ」
「ここで?」
 わざわざ? と首を傾げながら、桃が尋ねる。
 雪は何処でだって、見れる。なのにわざわざ五番隊隊舎へ向かう為の廊下に居たのは、何故なのか。
 首を傾げていた桃が一つの考えに至った。
「………もしかして……待っててくれてた?」
 私を――その言葉は必要ない。
 もしかしなくてもそうなのだろう。こんな時間に、こんな場所に日番谷が居る理由なんて、本来は無い筈なのだから。
 日番谷に視線を移せば、図星を当てられて居心地が悪そうにしている。
「………ありがとう」
 フワリと桃が笑った。
 バツが悪そうに、日番谷がソッポを向いた。
「別に……俺はただ単に雪見てただけだからな」
「…そだね」
 あくまでも偶然を言い張る日番谷に、桃が小さく苦笑した。
 本当に、日番谷は小さい頃から変わらない。
 こうして、心配して待っているのに、それを素直に言わない。
 不器用な優しさを持った桃にとっての――。
「……そう言えば、日番谷君、さっきから何飲んでるの?」
 ふと、先ほどから目についていた日番谷の持ち物について尋ねた。今、日番谷の手にあるのは、渋い色合いの徳利と白磁のお猪口だ。
「お酒?」
 不思議そうに桃が首を傾げた。
 日番谷はあまり酒の類を好んで飲まない。
「違ぇよ」
「え、違うの? じゃあ、なぁに?」
「………茶」
 ポツリと漏らされた言葉に、桃がキョトンとした表情を見せる。
「雪見酒じゃなくて、雪見茶?」
「あぁ。俺は酒なんか飲まねぇからな」
「…なんで徳利に入れてるの?」
「気分だ」
 キッパリと日番谷が言い切る。
「……気分って…」
「飲むか?」
 そう言いつつ、日番谷は何処に持っていたのかもう一つ、白磁のお猪口を取り出して、桃に手渡した。そのまま無言で徳利の中身をお猪口に注ぐ。
「あ、ありがと……」
 お礼を言ってから、お猪口に口をつけた。
 ほんのりと暖かい液体が体内を暖める。すでに感覚が麻痺状態に近くて忘れていたのだが、外で、雪が降っていて、夜で寒くないわけがない。お茶を飲んだ事で忘れ去っていた寒さを思いだした。
 思いだしたからには寒さを感じて、身体が震える。
 バサリ。
 頭にフワリと布をかけられた。布の色は白。まだほのかに暖かさを保っている。
「………え…コレ!?」
 布の正体に至って隣を見れば、白い選ばれた者しか着れない羽織を着ていた筈の少年は黒い死覇装姿のみになって、チビチビとお猪口を傾けている。
「日番谷君!? 風邪引いちゃうよ!」
 慌てて、羽織を返そうとするが日番谷は受け取らない。
「お前よりかは風邪、引きにくいに決まってんだろ。余計な気ぃ使ってねぇで、被っとけ」
「で…でも……」
「良いからっ!」
 まだ反論したそうな桃を一言の元、抑えて日番谷はお猪口にお茶を注ぐ。
「じゃ…これで」
 フワリと。
 桃が自分にかけられていた羽織の半分を日番谷にかけた。
「これなら暖かい」
「………」
 ハァッと、日番谷が溜め息を吐いた。
「え…なんで溜め息吐くの?」
「何でもねぇ。早々に切り上げて、部屋帰るぞ」
「う……うん」
 一つの羽織に、二人の人。
 その上にも、静かに雪は降り続ける。

日雛。
どう考えても日番谷の羽織に二人は無理。