雨凌ぐ木の下で

 急に降り出した雨は、その勢いを増し続けて、今や大雨と言っても問題ない状況となっていた。
 帰ろうと思えば帰れない事もないだろうが、急いで帰る必要はない。帰った所で、この雨では宿屋に足止めされる事は確実だ。
 また軽くなる財布を思いやって、ゆやが深い溜め息を零した。そろそろ本気で仲間内の誰かを売った方が、自分と財布の為かも知れない。
「深い溜め息だねぇ」
「……」
 唐突にかけられたあっけらとした声に驚きもせず、ただ静かに銃口を頭に向ける。
「誰のせいかわかってますよね?」
 ニッコリとゆやが笑った。下手な事を言ったら撃つぞとばかりに引き金に指をかけた状態で、それはそれは綺麗に。
「僕達のせいだね」
 語尾にハートマークが着いているような気がするのは気の所為だろうか。否、気の所為だと思いたい。
「わかってるなら、少しは自重して下さい!」
「えぇーっ!?」
「えぇーっじゃありません!」
 独特の軽いノリに、ゆやが噛み付く。噛み付かれた張本人たる幸村が気にした様子はなかったのだが。
「だって、お酒は唯一の楽しみだよー。奪うの? 酷いなぁ、ゆやさん」
「……番所に突き出しますよ? 九度山にいる筈の真田の知将」
「……本気って目してるよ、ゆやさん?」
「本気ですから」
 再度、ゆやがニッコリと微笑んだ。その笑顔を恐ろしく感じたのは気のせいではないだろう。
「なるべく気をつけます」
 苦笑しつつ、誠意のない謝罪を口にする。謝罪はするものの、その謝罪が守られた試しなど今まで一度もなかったりするのだが。
「その言葉、今度こそ本当だといいんですけ…………っくしゅん!」
 雨に濡れた体に震えが走った。冷えて寒い空気が体を撫でる。
 すっかり記憶の片隅に追いやられいたが、ゆやも幸村も当然の雨降られて、全身びしょ濡れなのだ。
「すっかり濡れ鼠だねぇ」
「本当に。今日で止むんですかね」
「止むといいねぇ」
「人事みたいに」
 ジトーっとゆやが、隣りに立つ幸村を睨んだ。睨まれても幸村本人は笑顔を崩さないでいる。
「別にそのつもりはないけどね」
「幸村さんが言うと嘘っぽいわ」
「酷いなぁ……。それよりゆやさん、震えてるけど寒いの?」
「え? えぇ、まぁ。濡れてるし、空気冷たいし……」
 降り続ける雨を見上げながら、ゆやが小さく困った様な笑みを浮かべる。その次の瞬間、フワリと空気が動いた。
 微かに引っ張られる感覚と、背中に感じる人の体温。
 誰の?
 考える必要もない。この場にいるのは自分ともう一人――幸村だけだ。
「幸村さんっ!?」
 後ろから包み込むように抱きしめられて、ゆやが頬を真っ赤に染めて、抗議の声を上げる。
「寒いんでしょう? 風邪引くと大変だからねー」
「そんな事どうでもいいから、離して下さい!」
「駄目。この方が暖かいでしょ?」
「そう言う問題じゃなくて!」
 抱きしめる手を解こうと、ゆやがジタバタと暴れる。が、腕の力は一向に弱まる気配を見せない。
 普段どれだけふざけていようと、幸村は侍だ。刀を手に持ち、目的の為に人の命を狩る者だ。細身でもそれなりに腕力も体力も握力もある。でなければ、刀を振るう事など出来はしない。
 ゆや一人がジタバタした所で腕が解ける筈もなく。それを悟ったのか、ゆやが暴れるのを止めて大人しくなる。
「……好きにしてください」
 グッタリと疲れ果てた声で、諦めたようにゆやが呟いた。真面目に抵抗して一人疲れて、馬鹿みたいだと思う。
 この状態を気恥ずかしく思うのは、自分だけなのだろう。
 ドキドキと心臓が早く脈打つのも、この状態を嬉しく思うのも、全部。自分一人だけ。真後ろに立つ人物は、何とも思ってないのだろう。それはそれで悔しい気もするが。
「……幸村さんって、こう言う状況で緊張しないんですか?」
「……」
 一瞬、キョトンとした表情を浮かべたものの、ゆやの言葉の意図を読み取って、幸村が小さくクスリと笑った。
「つまり、ゆやさんは緊張してるわけだ。心配しなくても襲わないよ?」
「そんな心配してませんっ!!」
「なーんだ。てっきりそう言う心配してるのかと……」
「……」
 深々とゆやが溜め息を零した。この人を相手に何を言っても無駄だと悟る。
「も、いいです……雨も止んだみたいだし、宿に帰りましょう」
 曇ってはいるものの、雨が止んだ空を見上げて、ゆやが呟いた。木の下から出て、幸村を待たずに宿へと続く道のりをスタスタと進んでいく。
 その後ろ姿を見送って、幸村が小さな苦笑を漏らした。
 ゆやは緊張しないと思ったみたいだが、好きな相手と一緒で緊張しないわけがない。ただ、それを悟られないようにしているだけだ。
 それでなくとも、年齢が一回りも違う少女に恋愛感情を抱いてしまったのだ。その事を恥じるつもりも、悔いるつもりもないが、主導権だけは譲れない。恋愛感情を抱いただけではなく、主導権まで奪われては知将の名が泣くと言うものだ。
「ゆやさん」
「はい?」
 呼び掛けに振り向く素直さを、可愛いと思う。
 振り向いたゆやの唇に、触れるだけのキスを落とした。
「!?」
 当然の出来事に顔を真っ赤に染めたゆやを見て、幸村は笑い声を上げたのだった。

幸ゆや。
幸村に振り回されるゆやが良い(笑)