お忍びで〜と?

 赤楽三十余年―――。
 慶東国の首都・尭天に人と共に活気が戻ってきて久しい。街は様々な音に溢れ、通りには市が出る。
 豊かになって来たとは言え、それはまだ尭天に近い場所だけの話。国境沿いになればなるほど、未だ荒野が残っている。この国はまだ王がすべき事は多い。
 さて、街中を颯爽と歩く緋の髪に翠の瞳の麗人―――名を陽子と言う。字を赤子。復興の最中にある慶東国の国主――景王その人である。
 本来、王がこのような街中にいる筈はない。が、某大国の主従の影響を受けたのか、はたまた元々の性格か。陽子は割と頻繁に金波宮を抜け出す――部下に黙って。
 そして、今現在も、黙って抜け出した状態……言わばお忍びである。
「翠陽」
 かけられた声に、陽子が視線を向けた。
 向けた先に立つのは、頭に布を巻いた小柄な少年。浮かべた笑みは何処までも子供っぽい―――本人に告げたら、憤慨するだろうが。
「六太君」
 小さく手を振りながら、六太と呼んだ少年の元へと歩み寄る。
「久しぶり」
「確かに。…でも、珍しいね。六太君が延王と一緒じゃないのって」
「あ−……アイツな。アイツなら置いてきた」
「…………………………………………は?」
 至極、当然の事のようにサラリと言ってのけた六太の言葉に、陽子の思考が一瞬と言わず二、三秒真っ白になった。
 置いてきた…何処に? 問わずとも分かる。間違いなく、雁国の主が住まう場所――玄英宮にだろう。
「…お…置いてきたって……」
「あ−…抜け出す時に朱衡達に見つかりかかってさ−。身代わりに尚隆置いて来た」
 ニパッと笑う六太の顔に邪気はない。しかし、間違っても自分の主を身代わり――と言うか、生け贄にして出てくる麒麟がいるのだろうか。
 否、目の前に居るのだが。
「丁度良いんだよな−。尚隆はここ数週間、アチラコチラをフラフラしてきたばっかで出ようとしてたからな」
「ははは……相変らずなのですね、延王は」
「相変らずも、相変らずだぞ。その内、朱衡を筆頭に怒り大爆発で大変な事になりそうだ」
「……なんと言って良いのやら」
 陽子としては苦笑する他ない。
 五百年間、雁と言う国を支え続けた王とその麒麟。それが実は抜け出し魔だと知ったら、民はどう言う反応を取るのだろうか。
 非常に気になる所ではある。
「さ、兎に角、行こうぜ−」
「そうですね」
 取り敢えず、この場にいてもしかたないと判断して、六太と陽子は人並みの中に足を踏み出した。

 +++

「見つけましたよっっ!! しゅ―――――」
 のほほんと、六太と二人連れ立って美味しいお茶とお団子に舌鼓を打っていたその前に現れたのは、見慣れた官の姿。
 現・禁軍左将軍でもある桓たいだ。
「桓たい、どうした? こんなところまで。ついでに今、此処で。私の事をその名で呼ぶんじゃない」
 ニッコリと微笑みを浮かべて、一息で陽子が言い切った。その横で六太は我知らず、とお団子を黙々と食べている。
「どうした、じゃありませんよ! 良い加減に抜け出すのはお止め下さい! それかせめて虎嘯をお連れ下さいと!!」
「取り敢えず、落ち着け」
「誰の所為か分かってますよね?」
「勿論。私の所為だな」
「…………」
 胸を張って言い切られ、桓たいが肩を落とした。これはもう何を言っても無駄だと悟る。
「で、延台輔は一体何を?」
「陽子と茶」
 六太の答えに、再び肩を落とした。
「と…兎に角! お帰り下さい。――浩瀚様と景台輔に怒られますよ」
「う−ん…それは分かってるんだが……軽い内に帰るとするか」
「そうして下さい…」
「大変だなぁ、陽子は」
「でしょう?」
 のほほんとした二人の会話に、思わず“何処がだ!!”と突っ込みたくなる心を必死に抑える桓たいだった。
 ちなみに、宮殿で陽子は浩瀚の恐ろしくも清々しい笑顔で迎えられる事となる。

十二国記:陽子+六太+桓たい。
この三人の組み合わせが好きです。そして陽子さんは延王の悪い所(良い所?)を見習ってればいい(笑)