幸せチョコレート

 甘い、甘い香りが漂う。
 年に一回。
 女の子が精一杯の勇気を振り絞って、チョコレートに自分の気持ちを込めて、告白をする日。
 本来は感謝の意を込めてカードや花を贈る日だが、お菓子会社の陰謀でチョコレートが定説になっている。だけど、それはそれで良いと思う。何事にもきっかけは必要だ。花でもカードでもチョコレートでも良いのだ。相手に面と向かう為のきっかけになれば。
「桜乃、ちゃんと持った?」
「うん、大丈夫。朋ちゃん」
 シンプルで小さい紙袋を掲げて、桜乃が小さく笑んだ。それを見やって、親友たる少女も笑う。
「なら良し。桜乃ってば結構、忘れっぽいからさぁ。忘れてたらどうしようかと思った」
「幾ら何でも忘れないよ……」
 カラカラと笑う少女を見やって、桜乃が小さく苦笑を漏らした。
 朝までかかって作り上げた物だ。幾ら忘れっぽいとは言え、流石に忘れたりはしない。
「あ、来たよ、リョーマ様」
「うん」
 名門と名高い青春学園の男子テニス部でも選ばれた選手だけが着られるジャージに身を包んだ集団がゾロゾロと姿を現した。
 その集団の中頃に一学年上の先輩と戯れながら歩いてくる帽子を被った少年――リョーマの姿を見つける。
「……リョーマ君」
 緊張で中々出ない声を何とか絞り出して、弱々しい声で、それでもハッキリとリョーマの名を呼ぶ。
 時期と手に持った物で察して、傍に居た桃城も他の面々も「先に行く」と告げてから、立ち去っていく。気が付けば、傍にいた親友たる少女の姿もなかった。
「何?」
「あ……あの……コレ…………っ」
 手にしていた小さな紙袋をリョーマの方に差し出した。
 ドキン、ドキンと心臓が脈打つ。
 熱が出たかのように、頬が熱くなっていくのを感じる。
 緊張と血が上ったので、頭がグルグルする。
 短い時間が、永遠にも感じられた。
 僅かな時間の経過の後、確かにあった微かな重みが、手から離れていった。
 顔を上げれば、持っていた紙袋はリョーマの手の中で、更に言えば既に開け放たれている。
「……クッキーとチョコレート」
「えっと、えっと……甘さ控えめだから! 多分、リョーマ君でも大丈夫だと思う……」
「ふーん……」
 紙袋の中に入っていた少しいびつな形のトリュフチョコレートと、綺麗な色――と言っても濃い茶色なので分かりにくいが――に焼きあがったクッキーを一通り眺めてから、紙袋に戻す。
「ありがと、竜崎」
「う……ううん」
 口元に笑みを刻んで言われた言葉に、桜乃が更に頬を朱で染める。
 想いを伝えるべきか、否か。これほどのチャンスは他にない。チョコレートを手渡す勇気に便乗して、たった二文字を伝えるだけだ。
「あ…………あのね、リョーマ君」
「?」
「わ……私…………私っ。リョーマ君の事が……………………好き…………なの」
 緊張の度が過ぎて、語尾が消え入るように小さな声になる。それでも、勇気を振り絞って口から出た言葉は、リョーマに聞こえていた。
「……3月14日」
「え?」
「お返しと一緒でいいだろ? 改めて伝えるのは」

 改めて伝えるのは。

 それは、つまり――――――――。
「え? ……えぇ?」
「……鈍い」
「……う」
 呆れた溜め息を吐きつつ呟かれた言葉に、桜乃が小さく呻いた。
 近寄ってきた影に顔を上げると、リョーマの顔がすぐ傍にあった。そのまま、耳元で一言、呟かれる。
「今はこれだけ。さっきも言ったけど、3月ね」
「……うん」
 伝えられた言葉に、恥ずかしそうに顔を染めながらも、それでも。
 幸せそうに桜乃が微笑んだ。

テニスの王子様:リョ→←桜。
ベッタベタなバレンタインネタ。頑張る女の子は可愛いと思います。