古物商奇譚

〜始まりの場所〜

 サクサクと雪を描き分けて進んでいた歩みを止めて、後ろを振り向く。白い雪原に刻まれた足跡を懸命に追いかけてくる幼い少女の姿に、男はひっそりと溜め息を吐いた。
 事の起こりは数日前に遡る。
 男の生業は古物を扱う。それも普通の品物ではなく、何かしらの曰くを持つ品の引き取りを主とする古物商だ。連絡さえあれば北から南、東から西まで何処へだってゆく。
 そうして、連絡を貰い訪れた雪深い寂れた里。そこで引き取るモノとして夫婦であろう男女から提示された曰く付きの品はあろうことか、一人の年幼い少女だった。
 年の頃は十になるか、ならないかといった所だろう。見立てた年の割に成長具合の遅い身体、延びっぱなしで手入れのされてない髪、手足は華奢を通り越して骨と皮と言った方が正しい。逸らされる事無く見据えてくる瞳には何処か諦観が漂っていた。
 おそらくはこの夫婦の子供だろう。だが、少女の身なりと男の蔑むような視線から見るに、愛されて育った様子はない。そもそも“物”として引き取らせようとしているのだ、当たり前と言った方がいいのか。
 男にわからないくらい小さく溜め息を吐き、口を開いた。
「……生憎だが、人の取り扱いはしてないが」
「人じゃねぇ、物だ。人には物の声を聞くようなおかしな力はねぇ」
 吐き捨てるような口調と言葉に、薄々事情を察する。
 変わった力を持つ者を蔑む人間など、この世に山のようにいる。目の前にいる男も、少し離れた場所で窺う女もそうなのだろう。娘であろう少女を見る視線に、愛情と言った温かな情は一切見えない。
「だが……」
 困惑をそのままに、頭をかく。
 夫婦が少女を厭っているのは分かった。だが、引き取れと少女を提示されて、易々と引き取る訳にもいかない。
 古物商はあくまでも“物”を扱う生業だ。そこには当たり前だが、人は含まれない。例えどんなに“物”と言いはろうとも、少女はあくまでも変わった力を持つ“人”でしかない。しかし、そう言った所で男は納得しないだろう。それどころか、ここで断れば男が少女に何をするかわかったものではない。
「……」
 一つ、深い溜め息を吐き、目を閉じる。
 少女を引き取る事、それは容易い。だが、引き取った所で少女の命や身の安全が保障されるかと問われれば、答えは否だ。何処かに預けるにしろ、預けないにしろ、まずは拠点としている場所に帰らねば話にならない。その為には山を越えねばならないが、この雪の時期の山を果たして少女の体力で超えられるかどうか、不安は尽きない。だが、ここにいるよりかは幾らかマシか。何より、諦めの色を宿した瞳をした少女を放ってはおけない。
 我ながらお人好しだとは思うが、性分だ。仕方ない。紅簾と緑簾には怒られるかもしれないが、諦めてもらうしかない。
 閉じていた目を開き、顔を上げる。その表情に迷いは見えない。
「わかった、引き取ろう」
 一度腹を決めてしまえば、後の行動は迅速丁寧にが信条だ。
 人に値段をつけるなど、楽しくも気持ち良くもない仕事だが、それが一番こう言う相手には手っ取り早い。
 気持ちを抑えて少女の傍らへと膝をつき、見た目や状態、その他諸々を見定める。それらを考慮した上で、少女の値段を弾き出した。
「では、これでこの少女を引き取ろう」
 提示された金額を見て、夫婦が憮然とした表情を浮かべる。明らかに不満そうだが、こちらとしても引くつもりは毛頭ない。
「最初に言ったと思うが、私は古物商だ。人の引き取りは範疇外なんでな。金額が不満なら帰らせて頂くが? それから改めて人買いなり何なりを呼ぶ事だな。もっとも――こうも成長状態が悪いようじゃ、そう大した金額にはならないだろうがな」
 射抜くような鋭い視線で、男が夫婦を射抜いた。口を開こうとしていた二人が口ごもる。年頃の割に娘の成長状態が悪いのはわかっていたらしい。
「で、どうする?」
「……それで構わんよ。引き取ってもらえれば、それで」
 溜め息と共に了承を伝える男に、金銭の入った袋を手渡す。中身を確認する二人を横目に、事の成り行きを静観していた少女へと手を差し出した。きょとんとした表情で、差し出した手をどうすればいいのか分かりかねている少女の手をとって、その場に立たせる。
 端々が擦り切れた裾のあっていない古い着物一枚が、少女の身に待とう全てだ。流石にこの恰好で雪山を超えるのは考えなしだろう。
 ふむと考え込み、手持ちの荷物を探り始める。
 基本的には引き取りが主な仕事ではあるが、必要がないとも言い切れないので多少の売り物も持ち歩いているのだ。
「こんなもので構わんか。ほれ」
 少女の身丈に合いそうな物を引っ張り出し、少女の頭へと放り投げる。突然の事に目を白黒している少女を後目に、放り投げた着物を上から着せて整え、更に上からもう一枚被せた。
「では、商談成立と言う事で。そろそろ失礼させて貰いますよ。早くしないと山を越えられなくなるんでね」
 手に入った金銭に夢中の二人はこちらへ見向きもせず、ただ与えられた金銭の勘定に忙しそうにしている。それを一瞥すると、未だポカンとした雰囲気のままの少女を連れて、少女の生家を出た。
 そして、話は冒頭へと戻る。

 ◆

「私、買われたの?」
 いつの間にか追いついていた少女が、男を見上げて淡々と問いかけた。その瞳には未だ諦観の色が見え隠れしている。少女へと向き直って、視線を合わせるように男が膝を折った。
「買ったつもりはない。だが、ああ言った輩は金を払った方が楽な時もあるからな」
「でも……」
 言い淀む少女は何処か居心地が悪そうにしている。
 少女の普段の生活がどんなものであったのか。見た事はないが、予想するのは容易い。無条件の優しさなど、なかっただろう。否、条件があっても優しさがあったかどうかも怪しい。
 そんな生活を送っていたのだ、今の状況はさぞや居心地が悪いのだろう。男が小さく溜め息を吐いた。
「なら、今回の事は貸しだ。お前はこれから俺の弟子として、古物商見習いになって貰う。そしていつか一人前になって返してくれればいい」
「……」
「そう言えば、お前名前は?」
 ふと思い出して、少女へと尋ねる。一瞬、きょとんとした表情を見せ、それから少女が首を横に振った。
「名前、ない」
「ない?」
 簡素な少女の答えに問い返せば、肯定する為に首が縦に振られる。
 厄介者扱いしていたのは見れば一目瞭然だった。最低限とは言え、衣食住を与えていただけマシと言うべきだろう。
 決して、少女を慈しんでいる風はなかったが、まさか名前すらないとは思わなかった。変わった力を持っているとは言え、それが生まれた直後にわかる筈もない。なのに名前がないと言う事は、望んで生まれてきた子ではなかったと言う事か。
 ――考えても詮無い事だ。
 理由が何であれ少女に名前が与えられず、物として引き払われた事だけは揺ぎ無く、変えられない事実なのだから。
「名前がないのは、厄介だな。呼びようがない……そうだな」
 顎に手を当てて、考え込む。その時を見計らったかのようにフワリと再び、空から舞い降りはじめた雪を目にして、あぁと小さく頷いた。
「ならば、六花」
「りっ……か」
「雪の別称だ。雪の降る日に引き取った子供だから、六花。嫌か?」
 一拍置いて、首が物凄い勢いで左右に振られる。手入れのされてない髪が宙を舞い、やがて肉のついていない細い背へと落ちた。
 見上げてくる少女の顔には、微かな笑み。
 そこに浮かんでいる諦観の色は全くないとまではいかなくとも、幾分か薄れている。
「六花、六花……」
 よほど嬉しかったのか、何度も何度も与えられたその名を少女が呟いた。ややあって、ふと思い出したように顔を上げる。
「名前……」
「ん?」
「あなた……の名前」
「……言ってなかったか?」
 少女――六花がコクンと頷いた。
 そう言えば古物商だとは言ったが、名乗った覚えはない。
「あー……俺の名前は菫青だ」
「きん……せい」
「あぁ、紅簾と緑簾……仲間なんだがは菫と呼んでるな」
「すみれ……さん」
 たどたどしく名前を呼んでくる六花へと、微かに笑いかけ、手を差し出す。きょとんとした表情を浮かべた六花が、今度はオズオズと手を伸ばした。
 華奢と言うには細すぎる小さな手を握り、再び雪を踏みしめて前へと進んでゆく。
 向かうは、山を越えて遥か先――菫青とその仲間が拠点を置いている街。
 これが、俄か師弟の始まりだった。

即興オリジナル。
ついったの診断メーカーで「古物商三十路×弟子幼女、恋愛未満」と出て滾ったのでつい。恋愛未満何処ろか、弟子未満からのスタートでした……。