15 時間


 カチャリと白磁のカップが微かな音を立てた。振動が伝わって、中の琥珀色が大きく揺れる。
 紅茶の芳香と甘い焼き菓子の匂いが部屋を占めて、何だかいるだけで幸せな気分になってくる。無論、幸せな気分になる要因はそれだけではないのだが。
 カップを口元に運びながら、ハンナは傍目にはわからないくらい小さな笑みを口元に浮かべた。が、長年共にあったエミリーにはその微かな気配の変化すらわかったらしい。
 動かしていた手を止め、ハンナに視線を向けて、首を傾げた。

「ハンナ様? どうかされましたか?」
「え? どうして?」
「ハンナ様が微かですが、笑われた気配がしましたので」
「わかったの?」
「はい。それで……何かありましたか?」
「ううん、何もないけど。ただ、何か幸せだなぁって」

 ふわりとハンナがエミリーに笑いかける。
 そう、幸せなのだ。今この時、この瞬間が。
 祖父が亡くなって以来、エミリーと二人きりで静まり返っていた家は、毎日とても賑やかだ。今までも決して一人きりではなかったが、やはり寂しさは募った。
 だけど今はウィルがいて、ジルがいて、ジャックがいて――――エミリーがいて、自分がいる。
 人数が増えた分だけ増す気配と喧騒。誰かが同じ家で暮らしている何気ない、けど確かな幸せ。

「――そうですか。それは良かったです」
「うん。そう言えば、ウィル達は?」
「……極悪人形なら何時も通りフラリと何処かへ出掛けましたが? ジルさん、ジャックさんも本日は出掛けております」

 一瞬、エミリーが纏う雰囲気が冷たく恐ろしくなったのは気の所為ではないだろう。
 理由は知らないが、エミリーはウィルを毛嫌いしている。仲良くするのは無理と言い切る程に。同じ家に住んでいるのだ。仲良くして欲しいとは思うが、無理な事を強要するつもりはない。誰にだって苦手で出来ない事の一つや二つある。
 エミリーの場合はたまたま、ウィルと仲良くするのが苦手で出来ない――したくないと言うのが一番正しかったりするが、ハンナはそれを知らない――事なのだ。

((……無理強いはよくないわよね))

 カップを傾けながら、ぼんやりと考える。

「お茶のおかわりは如何ですか? タルトレットもまだありますが」
「じゃあ、おかわりをお願い」
「かしこまりました」

 一礼してから、白磁のポットに手を伸ばす。
 ゴールデンルールに沿って淹れるその姿は手慣れた様子で様になっている。何時かのウィルも手慣れていると思ったが、エミリーはそれ以上だろう。

「お待たせ致しました」

 白磁に映える琥珀色と、エミリーお手製のタルトレットと、穏やかな二人の時間と。
 本当に、何て幸せな。

「エミリーがいて、ウィルがいて、ジルがいて、ジャックがいて……本当に幸せ」
「……私もハンナ様のお側にいられて、とても幸せです」

 エミリーが淡く微笑む。
 人形に友人として接する目の前の少女は考えが甘い。
 人と人形。
 姿形こそ似ているものの、この二つは根本的に違う。創造した者とされた者。超えられない垣根はある。それを知らない訳ではないだろうに。それでも、少女は人形を友人として扱う。そして、そんな少女を甘いと思いながらも、傍にいられて幸せなのだ、自分は。

「早く、ウィル達帰ってくるといいわね」
「……私と二人では御不満ですか?」
「そう言う訳じゃないわ。エミリーと二人っきりも久々だもの。満喫したいわ。でもやっぱり、ウィルとジルとジャック……全員揃っていた方が好きなの」

 共に過ごした期間は短いけれども、それでも。
 ハンナにとって彼らは家族同然なのだ。共に同じ家で暮らす大切な、大切な相手なのだ。

「……すぐに戻って来られると思います」
「そうだと良いわね」

 エミリーの言葉に、ハンナが笑んだ。
 そのエミリーの言葉を肯定するかのように、玄関付近でガチャリと微かな扉を開ける音がする。

「あら」
「……」

 床の軋む音、耳に届く言葉、声。
 それは一人ではなく三人分あって。

「皆揃って帰ってきたのね」
「そのようですね」

 カチャリと開かれた扉から姿を現したのは、出かけて姿が無かった三人で。

「お帰りなさい。お茶にしましょう?」

 ニッコリと微笑んで出迎えたハンナに、三人もそれぞれ笑みを浮かべてみせた。


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Will o Wisp :: ハンナ+エミリー。
この二人のコンビが好きだったりします。
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