時には立ち止まって後ろを


 物言わぬ墓石は沈黙を保ったまま、弥子の前にそびえていた。その墓の前に小さな箱を一つ、供える。
 彼が好んでいた銘柄の煙草。それが、弥子から笹塚への命日の供え物。
 おそらく、一般的な供え物としては間違っているのだと思うし、本当なら花の方が良いのだろう事もわかっている。実際、最初はそう考えていた。けれど、どうしても弥子の中で笹塚と花が結びつく事はなく、その結果が今供えた小さな箱の存在。
「……ヘビースモーカーでしたもんね、笹塚さん」
 だから、きっと選択は間違っていない。
 口端に小さな笑みを浮かべながら、何処か懐かしげに口を開く。
 何時でも煙草を吸っていた人だった。普段は驚くほどローテンションだったけれど、いざと言う時は誰よりも俊敏な人だった。家族を殺した犯人に復讐する為に生きていて、その為に命を落とした人だった。
 胸を締め付ける程に切なくて悲しい……ほんの数年前の記憶。けれど、今も鮮やかに思い出す事が出来る。
 最後の瞬間、弥子へと視線を送り、笑みを浮かべて逝った笹塚の事を――――ジワリジワリと胸を締め付ける微かな痛みと共に。
 いつだって気遣ってくれていた優しいあの人がいない。
 その現実は時折、言い様のない悲しみと切なさをもたらしてくる。ポッカリと胸に空いた空虚な穴は縮まる事はあっても、完全に閉じ切る事はないだろう。
 あの時は、気付かなかった……胸に灯る淡い想いの、その正体に。
 きっと、兄か何かに対する《親愛》に近い想いなのだと、気持ちに向き合う事無く漠然とそう思っていた。けれど、違った。
 胸に灯っていた想いの正体が《親愛》ではなく《恋愛》だと気付いたのは、笹塚の最初の命日。
 物言わぬ冷たい墓石を前に、それは唐突に落ちてきて、そして理解した。
 ずっと、好きだったのだと。
 さり気なく、気にかけてくれていた優しい人が、自分にとっての特別だったのだと。
 兄のような人でも何でもなく、たった一人大切な人なのだと。
 気付いて、理解してしまった。
 最初の恋は知らぬ間に胸に宿っていて、そして気付かない内に無理矢理に終わりを迎えていた。
 胸に灯った想いを告げるべき相手は既に時間を止めていて、生まれた想いはその行く末を失い、今もひっそりと胸の内にある。ゆっくりと、形を変えながら、でも確実に。
 数年前よりも痛みを訴えなくなった想いはやがて、時と共に静かに解けて、消えるのだろう。
 生きて前を見続けている限り、物事は流転する。想いもまた然り。
 弥子の時間は今も動いて、前へと進み続けている。
 この先の長い人生の中で笹塚へと向かっていた想いはやがて、また別の誰かに向かう事となるのだろう。
 今、ゆっくりと形を変えつつあるように。けれど、それで良いのだ。身体も心も同じ場所に留まっている事をきっと、笹塚は喜びはしないだろうから。
「あれ? 桂木?」
「え? あ!」
 砂を踏む音とかけられた声に振り返った先には、見知った顔が幾つか。
 初めて出会った頃よりも大人びた顔もあれば、変わらない顔もあり、驚いた表情を浮かべて、それから笑った。
「こんな所で何をしている、桂木弥子」
「……何をって……命日ですから」
 出会った頃から変わらない呼び名に苦笑を零す。何気なく下げた視線に飛び込んできた物に、一つ瞳を瞬かせた。
「え……」
 下げた視線を上げれば、相変わらずのしかめっ面を浮かべた笛吹の姿。その手には花束。
 正直、似合わない。
「……………………ぶ」
「何を笑っとるかぁぁぁ!!」
「す……すいません。だって、笛吹さんが花束って……」
 笑いを収めることなく、弥子が誠意のない謝罪を口にする。
 その強面のまま、自ら買ったのだろうか。どんな表情を浮かべていたのだろうかと想像しかけて、更に吹き出した。それが更に、笛吹の不機嫌に拍車をかけてゆく。
「桂木弥子ぉ!!」
 静かな墓地に笛吹の怒鳴り声と、弥子の笑い声だけが響いた。
「ふん! もう良い」
 何処か拗ねたような表情で、花束を墓へと叩きつける。叩きつけられて千切れた花びらがヒラリヒラリと宙を舞って、地面へと舞い降ちた。
「あー、本当にごめんなさい……」
「似合ってない事は自分が一番承知済みだ。笹塚に似合わないだろう事もな」
 フイと顔を背けるのは、未だ機嫌が悪い証拠だろう。そんな笛吹を押しのけるように声をかけて来たのは匪口だ。
「そう言えば、桂木は一人で来たのか?」
「あ、はい。吾代さんも誘ってみたんですけど、誰が行くかって断られてしまって……」
「あー……まぁ、そうだろうなぁ」
「んじゃ、帰りも一人なんだよな?」
「そうなりますね」
「んじゃ、一緒に帰る? 俺達車で来てるし、送るよ? 筑紫が」
 笛吹の傍らに控えていた筑紫を指さして、匪口が笑う。匪口と筑紫を交互に見やりながら、弥子が苦笑を零した。
「……本人の意思確認せずに何言って……」
「桂木探偵さえよければ、自分は気にしませんが」
「え……でも……」
「つべこべ言わずに送られろ!!」
「は……はいぃっ!?」
 余りの剣幕に、半ば反射的に返事を返してしまう。それに満足そうに頷いている辺り、もしかしたら端から送るつもりだったのかも知れない。
「――お前は働きすぎだったのだ。後は我々がやっておいてやるから、ゆっくり静養するんだな」
 祈りは捧げない。その代わりに決意と言葉と、ほんの少しの労いを。
 笛吹らしい言葉に、弥子が小さく笑みを浮かべる。それから、墓へと向かい合う。
 その場に佇む墓石はただ其処にあるだけだ。眠る人々の為の静寂に包まれながら、ただ静かに。
 決して居心地が悪い訳ではない静寂は、何処か寡黙なあの人に似ている……気がする。
「じゃあ、また来年来ますね」
 立ちあがりながら、呟いた。
 一年後の今日、また此処を訪れる。その時は、新しい報告が出来ればいい。例えば、新しく好きな人が出来たんです、と。
 笹塚への想いを忘れる訳じゃない、無くす訳でもない。ただ、形が変わるだけだ。好きだと言う確かな恋情が、形を変えて違う気持ちになる、ただそれだけの事。
「おーい、桂木。帰るんだろー?」
「あ、はーい。待って下さいよー」
 少し離れた場所で待つ人影を追う為に、弥子が墓に背を向ける。煙草を一箱と柔らかな微笑みを残して。
 遠ざかってゆく華奢な後ろ姿を、墓石が静かに見守っていた。


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脳噛探偵ネウロ:弥子+ヒグチ+笛吹+筑紫

初書きです。キャラ掴み切れずに偽物ちっくな人が一人……認識違ってたらどうしよー(苦笑)

故旧と称すほど昔の気持ちじゃない。けれど、今の物でもない。
思い起こす度に微かな痛みと切なくなるほどの懐かしさをもたらすその想いは確かに、過去の物なのかも知れない。
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