そして僕らに出来る事
「ほら、お茶だ」
「源さん」
 コンと音をさせて、藤堂の隣に温かな湯気の立つ湯飲みが置かれる。その湯のみの更に横に腰を下ろして、井上が人のよい笑みを浮かべた。
「で、雪村君を一心不乱に見つめて何を考えていたんだね? 藤堂君」
「いっし……」
 井上の口から思いがけない言葉が飛び出してきて、思わず藤堂が返答に窮する。
 一心不乱と言われる程に、千鶴を見つめていたつもりなど藤堂にはない。むしろ、自分自身の思考に沈んでいただけなのだ。だが、はたから見たら一心不乱に千鶴を見つめているように見えたらしい。
「おや、違うのかい? てっきりそうだと思ってたんだがね」
「ちげぇよ」
 返答に詰まった藤堂を見た井上が意外そうな表情を浮かべる。それに苦笑を返して、置かれた湯飲みを手に取った。ジンワリとほどよい暖かさが手に伝わる。
「あ、でも違わねぇかも」
「どっちなんだい」
 先程とまったく正反対の事を口にした藤堂に、今度は井上が苦笑を零す。
「千鶴のこと考えてたのは本当だからなぁ。別に一心不乱に見つめてた訳じゃねぇけど」
「……」
 茶を啜りながら、藤堂の次の言葉を待つ。
「なぁ、源さん。千鶴の為に俺ら、何してやれるのかな?」
「何だい、突然」
「突然って訳じゃねぇけどさぁ」
 中庭に視線を向けたまま、藤堂がポツリと零す。
 視線の先では千鶴がせわしなく竹箒を動かし、庭を掃いているのが見える。
 千鶴は新撰組の隊士ではなく、あくまで客人と言う立場だ。それは新選組に身を寄せた当初から一切変わらない。本来なら客人である千鶴が掃除をする必要はない。だが、何もせず置いて貰うのは申し訳なくて千鶴自身がそれを許せないらしい。
 何か仕事をさせて欲しいと千鶴は望み、土方が下したのが洗濯や掃除、食事の準備など男所帯では疎かになりがちな、いわゆる雑用と呼ばれる仕事だ。元々、江戸で父親と暮らしていた頃からやっていたのもあって洗濯も掃除も食事の準備も、全て手際がよい。おまけに綻びを繕っておくなどの細やかな気配りも出来る。
 それを、藤堂は素直に凄いと感心する。
 洗濯や掃除、食事の準備ならいざ知らず。着物の綻びを繕うなど、新選組に身をおく者ではやろうとも思わないだろう。
「洗濯も掃除も繕い物も千鶴が全部やってくれてるからさ、俺らすっげぇ楽になったけど。じゃあ、俺らは千鶴に何してやれるんだろうって……ちょっと気になってさぁ」
 たくさんの事を千鶴にして貰っている。他の幹部がどうかは知らないが、藤堂自身はすごく助かっている。
 だからこそ、考えてしまう。
 ――自分達は……自分は一体、千鶴に何をしてあげられるのだろうか。
 確かに新選組の一員として千鶴を保護し、父親探しに協力し、鬼と名乗る面々から守りはしている。だが、保護と言えば聞こえはいいが実際は監視以外の何物でもないし、鬼から守っているが鬼の気まぐれで助かっているような気がしてならない。
 そもそも、それらは全て新選組としてであって藤堂個人がしていることではない。では、藤堂個人は千鶴に対して、何が出来るのだろうか。考えても考えても、答えは一行に出てこないままで。時間だけが確実に流れていくばかりだ。
「無事で帰ってくればいいんじゃないかな?」
 再び、自分自身の思考に沈みゆく藤堂に井上が穏やかな声で紡ぐ。
「え?」
「藤堂君や我々が雪村君にしてあげられる最上は無事で帰ってくる事だと、私は思うがね」
「無事に……」
「命を守ることは簡単だよ。我々なら尚更だ。だが、心を守るのは容易くないことだ」
 誰かの命を犠牲にして守られた事を雪村君は嘆くだろう、と井上が続ける。
 確かにそうだろう。
 ただでさえ、千鶴は戦場で何の役にも立たない事を気にしている。
 それを気にする必要はないと藤堂は思うのだが、そう言う訳にはいかないようだ。役に立たない事を気にしているのに、その逆で誰かの命を犠牲に命が助かったところで、千鶴は喜ばないだろう。それどころか、それを嘆くに違いない。
 常に憂いを帯びた表情を浮かべ、最悪、笑顔が失われるかも知れない。そんなのは嫌だ。いつだって、千鶴には笑っていて欲しい。
「誰も傷付かず、命を落とさなければ、雪村君は笑っているだろうね」
 何事もないように言うが、口で言うほどそれは楽な事ではない。
 新選組は剣に命を賭ける者達の集まりだ。その任務には常に死の影が付き纏う。今日が無事でも明日は命を失うかも知れない。言葉を交わし隣で笑う人が明日にはいないかも知れない。いつだって、その未来は不安定で砂上の楼閣のように儚く脆い。
 命はともかく、傷を負わないと言う事はかなり、難しい。
「命を失わず、傷を負わずかぁ……そうしたら、千鶴はずっと笑ってくれんのかな」
「きっとね」
 いつだって千鶴には笑っていて欲しい。
 巡察や出動を終えて戻ってきて、笑顔で出迎えられる度に守れたのだと思えるから。剣に命を賭けて守っているのはこう言う笑顔なのだと実感出来るから。
「俺はさ、千鶴を守りたい。命も心も全部、守りたいんだ」
 真っ直ぐに遠く前を見据えて、藤堂が凛と言い切る。
 傷を負わず、命を失わず帰ってくる事で千鶴が笑っていられるのならば、出来うる努力はしてみようと藤堂は思う。
「私も同じだよ。娘のように思っているからねぇ。泣かせたくはない。出来るなら笑っていて欲しいよ」
 藤堂の言葉に賛同を示して、井上も穏やかに笑った。
 君がいつだって笑っていられるように、君の笑顔を守れるように、
 どんな死地に赴いたとしても、無事に君の元へ帰ってこよう。
 それが多分、僕らに出来る事だから。


template : A Moveable Feast