後悔先に立たず
 歩くと言う動作は日常生活に置いて、切り離す事の出来ない重要な動作だ。
 何処へ移動するにしても歩かなければ移動出来ない。無論、走ると言う手立てもあるが、それは無駄に体力を浪費するだけだろうと千鶴は常々思っている。
 だが、歩かなければ何も出来ないとわかっていても、時折、歩くのが億劫な時だってある。歩くのを億劫だと思う千鶴の気持ちは人間誰しも一度は思った事があるだろう。
 それ自体は呆れられるものでも、ましてや責められるものでもない。
 強いて問題を挙げるならそれを音として発してしまった事と、新選組一番隊組長にその呟きを拾われてしまった事だろうか。
 特に後者。
 呟くだけなら大した問題ではない。その呟きを拾ったのが土方や藤堂、原田だったならそれもまた大した問題ではない。拾われたのが沖田であったが一番の問題なのだ。
「お……おおおおお沖田さん!?」
「何?」
 動揺が明らかな千鶴の声も態度も何のその。
 平素と変わらない沖田の態度に千鶴は泣き言を漏らしたくなる。元はと言えば迂闊な千鶴の一言が原因で、泣き言を言った所で何の解決にもならないのだが。
「歩けます、歩けますから! 下ろしてください」
「君、歩くのが億劫だなぁって言ったじゃない」
「あれは撤回しますから〜!!」
 好奇心を隠そうともしない平隊士達の視線がチクチクと背中に突き刺さる。
 ハッキリ言って、居心地が悪すぎる。
 背中に突き刺さる無遠慮な視線も、沖田に抱き抱えられているこの状況も。
「やだなぁ、千鶴ちゃん。僕の好意を無駄にする気? 酷いなぁ」
「楽しんでますよね!? 絶対に純粋な気持ちじゃないですよね!?」
「疑うの?」
「そりゃあもう!」
 心外そうな響きをまとう沖田の言葉を、キッパリバッサリ切り捨てる。
 沖田の千鶴に対する言動のほとんどが好意とは違う物なのは今までの経験上よく知っている。悪意ではないだろう。だが、好意とも言い切れない。挙げるのなら、体のいい玩具か小動物か何かか。とにかく、自分の精神上宜しくない事だけは明白だ。
「ふーん……お望みなら、邪な気持ちになってあげるよ?」
「結構です!」
 再び、沖田の言葉をキッパリバッサリサックリと切って捨てる。
 だが、そんな押し問答続けていた所で事態が好転する筈もなく。ますます集めていく平隊士の視線に千鶴が半泣き状態に陥る。
「おいおい、何を注目集めてんのかと思えば」
「原田さん!!」
「あれ、左之さん」
 出来上がった平隊士の垣根を掻き分けながら、長身の体躯が姿を現す。
 整った顔立ちに浮かべる表情は間違いなく苦笑で、人だかりの中心にある二つの人影を認めると更に苦笑を深くする。
「巡察じゃなかったの?」
「今しがた帰ってきたばかりなんだよ。んで? 何やってんだ、総司。こんな人だかりまで作って」
「うん? 千鶴ちゃんがね、歩くのが億劫だって言うから親切で部屋まで運んでるところなんだよ」
「…………へぇ」
 何かしら企んだような笑顔を浮かべて親切と抜かす沖田に、原田が呆れたような溜め息を零す。それから、未だ抱えられたままで半べそを掻いている千鶴に視線を向けた。
「原田さ〜ん」
 助けて、と言外に潜ませてウルウルと見上げてくる千鶴に、一瞬言葉を奪われる。が、ここで原田が言った所で素直に千鶴を解放する相手にも見えない。
 沖田に言う事を聞かそうと思ったら、鶴か鬼――特に鶴の一言が絶対条件で必要だ。
「…………ワリィな、千鶴」
「!!」
「あはは、また後でね」
 後ろ髪引かれる気持ちはあれど、正直関わるのも得策ではない。そもそも、このままでも命の危険はないのだから放って置いても問題ないだろう。
 そうサックリと結論付けて、チクチクと背中に突き刺さる千鶴の視線を振り切ると原田は自室の方へと消えていった。
 ――背後で上がる沖田の楽しそうな声と、千鶴の本気で泣きが入った叫び声を聞きながら。

 その日の夕刻。
 誰もが待ち望んだ夕餉の時間。
 隣に座る千鶴の恨みがましくチクチクと棘に塗れた視線を受けながら、原田は杯を傾ける事となる。
 後悔先に立たず。
 その言葉をシミジミと身に沁みて感じたのは千鶴だったのか、はたまた原田だったのか。
 それは両者のみが知る所だが、少なくとも、沖田でない事だけは確かだろう。


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