綻ぶ蕾に惑う
『千鶴ちゃんってさぁ』
『何ですか?』
『それ以外に着物持ってないの?』
『……』
 グッと言葉に詰まった千鶴をよく、覚えている。
 沖田と千鶴のそんな会話を耳にしたのは一体、何時頃の話だったか。少なくとも半年は前の筈だ。
 記憶の片隅に残っていた会話が土方の頭を過ぎるのは、間違いなく今現在、文机の上に居座るその存在の所為だ。
 淡く柔らかな色合いに細やかな花模様が散らしてある生地は何処をどう見ても女物で土方自身が使用する事がないのは明白。だからと言って、廓の妓にやるには若干、色味も模様も地味なのは確かだろう。
 土方は使わない。廓の妓にもやれないと消去法でいけば、残りはたった一人で。その一人こそが土方に反物を買わせた要因とも言える。
 そもそも、土方にはこれを買うつもりは全くなかったのだ。近藤に付き合って出かけた先で見かけた反物に、件の少女の名が挙がらなければ。
「お、歳」
「何だよ、近藤さん」
「あの反物、雪村君に似合うと思わないか?」
 その言葉につられて向けた視線の先。
 近藤が指差す先の店棚に飾ってある反物は確かに、新選組で身柄を預かっている少女に似合いそうで。
 途端、何時かの沖田と千鶴の会話が頭を過ぎる。
 少しの路銀と少量の荷物と身一つで単身、江戸から父親を探しに出てきた千鶴の手持ちの着物は少ない。平素、来ている淡い桃色の物ともう一、二着。
 その内の一着は持ってきては見たものの、男装するには余りにも女性的過ぎて着る訳にもいかず、自然、千鶴が袖を通すのは同じ物になる。
 持ってはいるが、着れない。
 他に着物を持っていないのかと沖田に問われた時、千鶴はそう答えていた。
 男装していても千鶴は女で、年頃の少女らしく着飾りたいだろうに身を置いている場所が場所だけにそれすら出来ない。それを申し訳なく思った事はないけれど、それでも何かしら思うところがあったのは事実で。
 気付けば、ほぼ衝動的にそれを買い求めている自分がいた。ハッと我に返った所で全ては後の祭り。
「雪村君、きっと喜ぶぞ」
 朗らかに笑う近藤と対照的に、土方は苦虫噛み潰したような表情になっていく。
 一体、どういった理由でこれを渡せと言うのか。
 原田辺りなら苦もなく渡すだろう。千鶴も申し訳なく思いながらも、受け取るだろう。
 だが、自分はどうだ。千鶴に冷たくした覚えはないが其処まで優しくした覚えもない。渡した所で受け取らないのが関の山ではないだろうか。そうしたら、買ったこの反物が無駄になってしまう。
 たかが一人の少女に反物を渡すだけなのに、思春期の少年のように柄にもなく悩んでしまう自分に苦笑が零れる。
 ――そうやって悩み続けて既に幾日か経過していて、問題の反物は未だ自分の手元にある訳なのだが。

 ◆

「失礼します。お茶をお持ちしました」
 間を置いて開かれた襖から、盆を手にした千鶴が姿を現す。
「わりぃな」
「いいえ」
 湯飲みを手渡しながら、千鶴が土方に笑みかける。
 仕事中の合間を計ったように、千鶴が土方に差し入れるお茶は既に日課になっている。
「おい。お前、着物は仕立てられるか?」
「え……まぁ、一応は」
「なら、いい」
 返答に満足したように笑うと、ヒョイと千鶴に向かって反物を放り投げる。予告もなく放り投げられたそれを寸でで受けとめて、千鶴が小さく息を吐き、土方に視線を向ける。
「投げるなら投げるで一言かけて下さい。で、これで土方さんの着物を仕立てればいいんですか? 随分、可愛らしい柄ですけど……」
「阿呆か。俺がんなもん着る訳ねーだろうが!」
「ですよね」
「それでお前の着物を仕立てろって言ってんだよ」
「……え…………えぇぇ!?」
 一瞬の間を置いてから、千鶴が驚いた声を上げる。
「何だ、その反応は」
「いや、驚いて……でも土方さん。私、反物を頂く理由がありませんが……」
「なら、捨てちまえ」
 困ったような千鶴の問いに、アッサリと土方が言う。
「えぇ!?」
「何で驚くんだ。俺は着ねぇ、お前も要らねぇんなら捨てるしかねぇだろうが」
「そ……それは勿体無いです」
「じゃあ、ツベコベ言わず貰っとくんだな」
 良い布地なのに、と呟く千鶴を横目に見ながら、土方が小さくわからない程度に苦笑を浮かべる。
 まるで要らない物を千鶴に渡したかのような態度だ。散々、悩んだ末がこれでは苦笑しか出てこない。事情を知っている近藤辺りがこれを見たら、呆れたような表情を浮かべているに違いない。
「……えっと、じゃあ頂きます。……土方さん、有難う御座います」
 戸惑いながらも、礼を告げる声音は何処か嬉しそうで。
「!」
 横目で見ていた千鶴を真正面に見据えて、息が詰まる。
 手にした反物を広げながらフワリと嬉しそうに笑う表情が、とてつもなく綺麗で。
 子供だ、ガキだと散々言ってきた。まだまだ子供で範疇外だと思ってきた。それが単なる逃げだと思い知らされた。
 人は日々、成長するものだ。
 今はまだ子供でも、蕾が綻んで開くように、やがて誰の目にも止まるようになる日が来る。誰かの隣で咲き誇る花になる日が遠くない未来に確実に訪れる。
 ――それが、面白くない。咲き誇るなら自分の傍で咲き誇って欲しい。
 それがどれだけ無理な話か知っていながら、心内で思ってしまう。そんな土方の気持ちを知らず、千鶴が笑いかける。
「出来上がったらお見せしますね」
「……何時の話になるんだ、そりゃ」
「……どう言う意味ですか」
「あ? 他意はねぇよ。別にお前が不器用だとも鈍くさいとも言ってねぇよ」
「言ってるじゃないですか、今!!」
 心外だったのか、千鶴が土方に怒鳴る。
 先程のハッとするような表情と打って変わって、何処までも幼い子供の表情に何度目になるかわからない溜め息を零す。
 ――これで、良い。
 千鶴はまだまだ幼い子供で、色恋沙汰とは縁遠い少女なのだ。それがきっと、一番良い。
 心惹かれた一瞬の淡い気持ちも、夢見た想いも振り払うように土方がゆるく頭を振る。
 微かに綻んだ蕾に惑わされたのは、土方だけが知る事実。それを蕾本人が知るのは、まだ暫く先の話となる。


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