傍らに温もりを
 体の芯まで冷えるような寒さは、冬場の京都の気候とよく似ているように感じた。
 ピンと身を切るように張りつめていて、息すら潜めてしまう程に厳かで。体が自然に緊張感で溢れてシャンとする。それは何処か、真剣勝負の前に流れる空気にも似ていて、懐かしい。
 同じ空の下、遠い異国の地で感じた懐かしい感覚に、原田の口元に笑みが浮かぶ。
 日本を出て、異国で迎えた初めての冬にしては随分と幸先がいい。
「……左之助さん、風邪ひきますよ」
「そんなヤワな鍛え方してねぇよ」
 控え目にかけられた声に振り返って、笑みを浮かべる。
 日本を出た後も体を鍛える事を怠らなかった結果、原田は今まで病気とは一切縁がなかった。無論、これからもそのつもりだ。
「左之助さんが平気でも、見てるこっちが平気じゃないです」
 病気知らずを自慢げに語る原田に、千鶴が呆れたように溜め息を吐いた。本人が幾ら平気でも、見ているこちらは耐えられない。
 今は師走も半ばで季節的には真冬になる。決して、裸に一枚着物を引っ掛けた姿でいるような季節ではない筈だ。例え、今いる場所が家の中とは言えども。
「そうか?」
「そうなんです」
「なんだ? 寒いんなら暖めてやろうか?」
 体ごと千鶴に向き直って、原田が囁く。
 愛おしげに見つめる瞳と甘く囁く声に含まれた艶に気持ちがなびきそうになる。
「さ……左之助さん! 朝です! 今の時刻は朝ですから!!」
「ん? 別に言葉以上の意味はねぇよ。何想像したんだ、千鶴?」
「〜〜〜〜っ」
「まぁ、想像の通りのことしてもいいぜ。せっかくの千鶴からのお誘いだしな」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
 真っ赤になって二の句の継げない千鶴を放って、原田がしたり顔で頷く。
 気持ちが通じ合って以後、数えきれないくらい体を重ねてきたが、何時まで経っても千鶴のこうした初心な反応は変わらないままだ。それが微笑ましくもあり、同時にもどかしい。
 口をパクパクさせるばかりの千鶴の頭を、軽く叩いて宥める。
「冗談だから落ち着け、千鶴」
「冗談……もう! からかったんですね!」
「わりぃわりぃ。千鶴の反応がかわいくてつい、な」
「……知りません!」
 プイッと頬を膨らまして、千鶴が顔を背けた。幼い子供がするような行動に、原田が笑う。拗ねた千鶴も可愛いと思う辺り、相当だ。
 最初は妹のように思っていた。
 父親を捜しに一人江戸から出てきた年若い幼い少女。新選組の事情に巻き込まれ、自由を制限された。父親の足取りが掴めず途方にくれる少女を不憫に思い、出来る限り不自由な思いをさせないようにしようと思った。
 構った分だけ懐いてくれる千鶴が可愛くて、それが何だか嬉しくて誇らしくて。だから更に構って、甘やかしてきた。妹がいたらきっと、こんな感じなのだろうとボンヤリと思っていた。
 ――何時から、妹へ向けていた想いは愛情へと姿を変えていたのだろうか。
 千鶴が傍で笑うのが当たり前になり、傍にいない事を寂しく思うようになった。他の男に笑いかける姿を見たくないと思うようになった。それらが恋だと気付くまで、そう長い時間は必要なかった。
 愛しいと思うその気持ちに気付いて認めてしまえば、後の行動はおのずと決まってきた。振り向いて貰えるよう、視線が他の男に向かないようひっそりと努力してきた。そうして、千鶴の隣に立つ権利を手に入れて一年。
 たくさんの物と天秤にかけてきた。二者択一を迫られて、悩んで迷って、それでも千鶴を選び続けてきた。これからも二者択一を迫られることもあるだろう。けれど、どんなに迷っても原田は千鶴を選ぶ。
「俺が悪かったって。謝るから機嫌直してくれ、な?」
「……今回だけですからね」
 未だ拗ねた表情のまま、千鶴が小さく呟く。
「あぁ」
 安堵の笑みを浮かべた原田が千鶴を手招きする。首を傾げながらも近付いてきた千鶴を腕の中に閉じ込めて、静かに目を閉じた。
 失ったものも、捨てたものも多い。
 これからもたくさんの物を失うだろう。捨てるだろう。
 だけど、傍らにこの温もりさえあるのなら、原田は決してそれらを後悔することはないだろう。
「左之助さん、体冷たいですよ」
「ん? まぁ、窓際にいるからな」
「暖かいお茶淹れますから、中に戻りましょう? 風邪ひいちゃいます」
「心配性だな、千鶴」
「左之助さんが無頓着なだけです」
 あまりに自分の体調に無頓着な原田に、千鶴が小さく溜め息を零した。抱きしめられていた腕から抜け出して、逆にその腕を引っ張って立たせる。
「頂き物ですけど、美味しいお茶菓子もあるんですよ」
「へぇ」
 何処か嬉しそうに語る千鶴に相槌を打ちながら、立ち上がる。そう言えば、千鶴は甘い物が好きだった事に思い至って、小さく笑みを浮かべた。
 原田が立ち上がるのを見届けて、千鶴が踵を返して台所へと向かう。微かな間を置いて台所から聞こえてくる音に、耳を澄ました。
 お湯を沸かす音、食器がぶつかりあう音、水音……日常生活で聞く何気ない音達。だからこそ、それらが聞こえてくる事に幸せを感じる。
 誰かと共に生活していて、誰かが自分の為に何かをしてくれて、誰かと共に紡いでいく穏やかな日々。昔からヒッソリと夢見ていた、ささやかな夢が今、こうして目の前に広がっていて、これからも紡がれ続ける事が何よりも幸せでいて、守りたいもの。
「左之助さーん、お茶入りましたよ」
「あぁ、今行く」
 開け放した窓を閉めてから、台所へと向かう。
 傍らに千鶴がいる、その幸せを噛みしめながら。


template : A Moveable Feast