鬼が為の涙
 明治三年晩春。
 凍てついた気候が和らぎ、木花がその蕾を綻ばすその時期に、長かった謹慎生活は終わりを告げた。
 慶応四年九月に会津藩の説得を受け入れて降伏してから、過ぎ去った歳月は短いようでいて、長い。
 その短くて長い謹慎生活を送っている間に戦争の決着がつき、新政府軍が中心となった新たな世が作られた。
 たった数年の間に目まぐるしく世情は変わってしまい、何だか世間に置いていかれた気分になる。
 旧幕府軍の――新選組の為に散らすだろうと思っていた命は今もこうして、この場にあって。けれど、自分がここにあっても散らすべき相手と定めていた幕府も新選組も既になく。
 では、一体自分は何の為に生きて此処にいるのだろうか、と疑問を抱いたところで、その疑問の答えの一つでもある少女の気配を微かに感じ取る。
 その少女を守っていたのは、確かに最初は新撰組の命令だった。だが、重ねていく日々の間に、新選組でも会津でもなく自分自身の意思で守ると、己の心に誓った事は記憶に新しい。
 振り返った先、今まで見慣れた男装姿とは違う、柔らかな色彩の女物の着物に身を包んだ千鶴が佇んでいる。
「斎藤さん」
「……千鶴」
 謹慎生活を送る斎藤に千鶴は付き添うと言った。それをとどめたのは他でもない、斎藤自身だ。
 斎藤は新選組の一員として、今まで数多の人間をこの手で切り殺してきた。恨まれもしているし、謹慎の末に殺されても不思議はない。斬首だろうが、切腹だろうが覚悟もしている。
 しかし、千鶴は違う。仲間である事は間違いない。決して短くない時間を共に過ごし、たくさんの苦楽を共に乗り越えてきた大切な仲間だ。だが、仲間ではあるが新選組の人間ではない。
 彼女は誰も殺していないし、傷つけてもいない。だから、斎藤の謹慎に付き合う必要はない。ましてやその末に、斎藤と同じように殺されてしまう可能性など万が一にもあってはならない。
 自分は彼女を守ると、己自身に誓った。それが己の所為で覆される訳にはいかない。
「どうして、ここに」
「謹慎が終わりだと、聞いたので」
「……そうか」
 一年ぶりに交わす会話は何処か余所余所しくて、ぎこちない。
 斎藤は元々口数が少なく無口で寡黙な性質で。それを補うように口を開く千鶴は千鶴で久方ぶりの再会に胸つまる思いで一杯で、言葉が上手く紡げないでいて。
「斎藤さん」
「何だ」
「……お帰りなさい、お疲れ様でした」
 フワリと千鶴が微笑む。
 言いたい事も、話したい事も多々ある。けれど、真っ先に告げるべきは、きっとこれだ。
「……あぁ」
 短く相槌を打ち、斎藤が小さく笑い返した。

 ◆

 微かな音を立てて、湯飲みが床に置かれた。その横には、御飯と味噌汁、漬物、焼き魚と言うささやかな食事の姿もある。
 千鶴が準備した食事を挟んで向かい合うように座った斎藤が小さく呟いた。
「……そうか」
「はい」
 噂を耳にはしていた。
 五月に函館総攻撃が行われ、その数日後に旧幕府軍が投降した事も、新政府軍が長きに渡った戊辰戦争に終止符を打った事も。勿論、土方の戦死も新撰組の瓦解も耳にした事はある。
 それを嘘だと思ったことはなかったが、遠く現実味が薄い話だとまるで他人事のように思った事はある。
 土方が殺しても死なないような性格だった所為だろうか。死んだと噂を聞いても、何食わぬ顔で姿を現して、尚且つ、そんな自身の噂を笑いとばしそうな気がする。
 無論、土方は羅刹でも何でもない普通の人間で、死ぬ時は死ぬ事くらいわかってはいるが。
「函館の一本木で……孤立した新選組を助けに行こうとして……撃たれたんだそうです」
「……即死だったろうな」
「そうだと聞いてます」
 語る千鶴の表情は暗い。
 死んだのは土方で、しかも一年近く前の事なのに、未だ思い出すと悲しい気持ちになるのだろう。目の前に座る少女は人の痛みを自分の物のように感じる心根の優しい性格だった。
「副長は最後まで戦って、己の死に場を見つけたんだな」
「……死に場を……」
「あの人は新選組の為に戦い、その為に死ぬ事を選んだ。新選組の為に死んだのなら、本望だろう」
「……斎藤さん、泣かないんですか?」
「何故?」
「だって、土方さん亡くなったんですよ?」
 厳しくて、優しかった新撰組の鬼副長。
 簡単には近寄りがたい雰囲気を持っていたけれど、千鶴は土方が優しくて責任感が強い事を知っていたし、好きだった。斎藤も千鶴と同じ筈だ。
「そうだな。だが、あの人は己の道を貫いて死んだのだ。それに涙を流す必要性があるのか?」
「……ないんですか?」
「ない」
 キッパリと言い切る斎藤の姿に、千鶴が首を傾げる。
「斎藤さん、土方さんの事好きだったんですよね?」
「……嫌いではなかったが。……何故、そんな事を聞く?」
 千鶴の言葉に、斎藤が目を瞬かせる。
 好きか嫌いかと問われれば前者だろう。
 同じ志の元に集った仲間でもあるし、数え切れないほど己の背を預けて戦った戦友でもあるし、この人の為ならと思った人でもある。
 悲しくないと言えば嘘になる。だが、それ以上に己の道を全うして、武士として死んだ土方を誇らしく思う。
 土方も斎藤自身も武士だ。
 自分の仕える主君の為に、自分の信じる道の為に、刀に全てを賭けて明日をも知れぬ日々を送る者。
 自分の信じる道を貫いてその命を散らしたのだから、やはりそれは誇るべき事であって、涙を流して悲しむ物ではない。
「…………何だか、淡々とされてるから……」
「……淡々としている点については否定はしないが」
「死んだんですよ? もう会えないし、話も出来ないんですよ? 悲しいじゃないですか」
 これでは自分の意見を一方的に押し付けているだけではないか。そう思っても、言葉が止まらない。
 斎藤が土方の死を悲しんでいないなんて露ほども疑っていない。
 京の都にいた頃、斎藤が土方に絶対の信頼を置いていた事を知っているし、そもそも、斎藤の方が千鶴よりも付き合いは遥かに長いのだから、土方の死に対して胸に飛来する思いは千鶴よりもよっぽどだろう。だが、斎藤は涙を流さない。悲しむものではなく、誇るべき物だと言って、譲らない。
 武士ではない千鶴には戦場に死に場を求める気持ちも、その死を誇るべき物だと言う気持ちもわからない。多分、これからもわからないままだろう。
 千鶴にとっては誇らしいよりも何よりも、土方の死が悲しいばかりだ。会津に斉藤と共に残る事を選んだ時、もう会えないと言う事実がわかっていたとは言えただ、悲しい。
 潤んだ千鶴の瞳から、涙が一筋零れてゆく。
「何故、泣く?」
「……斎藤さんが泣かないからです。私は、斎藤さんの代わりに泣くんです」
 涙を零しながら、千鶴が呟く。
 涙を流す事は、感情の吐露に繋がる。
 流す事で、心内の悲しみや痛みを癒す手段だ。涙を流して、故人の死を悼んで、悲しんで、そうやって心の整理をつけて前を向いて歩いてゆくのだ。
 泣くのは故人の為ではなく自分自身の為だ。だが、それを悪い事だと千鶴は思わない。そうして心の整理をつけないと何時か、自分の気持ちに圧迫されて呼吸すらままならなくなる。
 土方の死を本当はどう思っているのか千鶴は知らない。けれど、斎藤がいつか自分の気持ちに潰されてしまうのではないかと、心配になる。斎藤はあまりにも表に気持ちを出さないから。
 涙を流す千鶴の姿に一瞬、間の抜けた表情を浮かべてから斎藤が笑んだ。
「……俺の代わりに泣くのか。なら、この涙を拭うのは俺の役目だな」

 ◆

 啄むだけの軽い口づけを数え切れない程、降らせる。触れてはすぐ離れてゆく感触がくすぐったくて千鶴が身を捩った。
「そう言えば……」
 口づけを降らせるのを止めて、斎藤がポツリと言葉を零す。
「斎藤さん?」
「俺の代わりに自分がなくと言ったな」
「……確かに言いましたけど、何か曲解していませんか? 斎藤さん」
 警戒心も露わに千鶴が斎藤を見上げる。
 見上げてくる千鶴に婉然と、先ほど浮かべたのとは違う笑みを見せる。
 見惚れるほど綺麗なのだが、かつての仲間の一人を思い起こさせるようなその表情に千鶴が冷や汗をかく。
 散々、沖田にいいようにからかわれてきた為だろうか。この手の表情には嫌な予感しかしない。
「………………まぁ、お前の好きなように思うといい」
 その間は一体、何だと問うよりも先に、斎藤の唇が千鶴のそれを塞いだ。
 閉じられた唇を割って入った舌が口内を蹂躙する。戸惑う千鶴の舌を絡めとり、呼吸する暇も与えない。
「…………んっ……」
 永遠とも思える一瞬の後、ようやく塞がれていた唇が解放された。どちらのものともつかない銀糸が伝い、やがて見えなくなる。
「さいと……」
 頬を朱に染め、潤んだ瞳で見上げてくる千鶴の唇が言葉を発するよりも先に、再び塞ぐ。
 吐息すらも奪うような深い口付けに翻弄されている隙に、帯を解いて袷を緩める。
 緩められた袷の間から覗く白い肌が、ほんのりと色付いている様が酷く扇情的で、見た目の幼さと反したその姿が艶めかしく斎藤を刺激する。
 羅刹が血に狂うような、高揚感が全身を駆け巡ってゆく。
 あの白い肌に口付けて、痕を残して、声が枯れるまで啼かせたい。
 その衝動に突き動かされるように、唇がゆっくりと首筋を辿って下へと下りてゆく。
 啼かせたいけれど、優しくもしたい。
 真逆の思いはどちらも斎藤の本音だが、初めての千鶴の体に気持ちばかりが急いていて、優しくすることは少し難しそうだ。
 女を知らない訳ではなかろうに、と自分で自分自身に苦笑を漏らす。今まで生きてきて、それなりの場数は踏んでいる。それにも関わらず、まるで初めて女を抱くかのように逸る気持ちが抑えられない。
 緩めた袷を完全に開き、白い胸に手を添える。手のひらに収まる双丘は吸い付くように柔らかで弾力性に富み、力の入れ具合一つで自在に形を変えてゆく。
 片手で絶えず胸を弄び、もう片方の手を千鶴の下半身へと進ませる。着物の裾を割り、千鶴本人ですら触れたことのないであろう場所へと指を忍ばせてゆく。
 秘された其処は既にしとどと濡れて、千鶴が快感に揺らいでいた事は明らかで。それに密かな歓びを感じながら、斎藤は花芯の入り口を指で軽くなぞる。
 くちゅりと響いた水音に羞恥心を煽られて、千鶴が息を呑み込んだ。待ち望んでいたと言うように潤み、蜜を湛える花芯を割って指が侵入してくる感覚に背筋が粟立ってゆく。
「……や……っ」
「嫌じゃないだろう?」
 指を飲み込む其処を緩やかに愛撫しながら、笑む。
 貪欲に蠢く千鶴の中は生暖かくて、何処か心地よい。時折、指を折り曲げて刺激すれば、千鶴の体がビクンとはねた。
「…………っあ……」
 声を上げる事に抵抗があるのか、押し殺した声だけが刺激される度に千鶴から上がる。それでも時々上がる押えきれない嬌声に、気持ちが煽られていく。
 きっと、日本中何処へ行ってもこれほど斎藤を煽る女には出逢えないだろう。島原の遊女など目ではない。千鶴だけが斉藤を煽って、理性を揺るがし溶かしてゆく。
 刺激する度に蜜を溢れさせる其処から指を引き抜くと、溢れた液体が白い太腿を伝って滴り落ちる。それを追って顔を近づけ、舌で滴る雫を舐め取った。
「や……さいと……さん」
 生暖かい舌が太腿を這う感覚に、千鶴の手が斎藤の頭を押さえるものの、それを物ともせずに上へと進んでゆく。
 やがて辿り着いた源泉を刺激してやれば、千鶴の体が勢いよくはねる。
「…………ッ!!」
「声を押し殺すな」
「で……もっ」
「お前の声が聞きたい」
 低く、声が囁く。
 平素と変わらないようでいて、囁く声は熱に浮かされたように熱く何処か艶を含み、見下ろしてくる涼やかな瞳に、チラチラと情欲の影が見え隠れする。
 その様子に、千鶴が小さく口元に笑みを浮かべた。
「……何が楽しい」
「……余裕ないの、私だけじゃ……ないんだなって思って」
「当たり前だ。惚れた女を前にして余裕などある訳がない」
 千鶴の言葉に斉藤が苦笑を零す。
 余裕なんて全くない。千鶴が初めてなのを考慮して、どうにか優しくしようと努めているだけだ。少しでも気を抜けば、優しさを忘れて一心不乱に千鶴を求めてしまう。初心な千鶴にそれはさすがに酷だろう。
「大丈夫ですよ?」
「何がだ」
「少しくらい無理しても平気……ですよ?」
「…………」
 自然、上目遣いで見上げてくる千鶴にクラリと眩暈がする。
 何故、そこでこちらを煽るのか。それが意識してではなく、無意識な為に尚更性質が悪すぎる。
「千鶴、煽るな」
 小さく溜め息を吐きながら、斎藤が千鶴に最終宣告を告げる。
 これ以上煽られては、理性の限界だ。ただでさえ、斎藤の下半身は欲望を訴えていて、それを抑えるのに必死だと言うのに。
「……でも………………斉藤さんに抱かれて……嬉しいんですよ」
 消え入るように小さな声で密やかに。
 頬を紅く染めた千鶴が斎藤の耳元で囁いた。驚いて目を瞠った斎藤に、囁いた言葉が真実である事を肯定するように千鶴が笑う。
 その瞬間、必死で耐えていた最後の砦が緩やかに瓦解していくのを何処か遠くに感じる。
 高ぶりを主張する斎藤自身を解き放ち、それを蜜を湛える花芯が誘う。その誘いに抗う事無く、ゆっくりと花芯へと収まっていく。
「……っ」
 これと言った抵抗もなく飲み込まれた場所は暖かく、程よく締め付ける。ともすれば解き放ってしまいそうな欲望を堪えて、ゆるゆると最奥まで進みゆく。やがて辿り着いた最奥で一旦、動くのを止めた。
 辛そうに眉をしかめる千鶴の頬に手を添えれば、千鶴が小さく笑みを浮かべた。
「大丈夫か?」
「平……気……です」
「そうか……なら、動くぞ」
 小さく口端を持ち上げてから、止めていた動きを再開させる。
 納まっていたいた物がゆるゆると引き抜かれ、再び最奥へと進みゆく。気遣うようにゆるやかだった動きも段々と速度を増して早くなってゆくばかりで。
「や……んっ…………さいと……さん」
 良い場所を突かれて与えられる快感に乱されて、快感の更に高みに押し上げられていく。
 慣れない行為から得られる快感は初心な千鶴には過ぎていて、抑えていた筈の声が部屋に響く。
 鼻に掛ったような甘い嬌声に、麻痺していた羞恥心が蘇る。慌てて声を抑えようにも一度開いてしまった口は閉じる事無く、嬌声を響かせる。
 声が響く度に、引いては突くを繰り返す度に、斉藤のものは質量を増していって、隙間なく埋められているのが苦しい反面、満ち足りていて嬉しいと思う辺り、蘇った羞恥心は再び麻痺しているようだ。まるで他人事のように、ぼんやりと霞がかった頭の片隅で考える。
「余裕だな」
「……え?」
 突然かけられた声に、思考を遮られる。
 見上げれば斉藤が何処か意地の悪い笑みを浮かべているのが視界に映る。
「考え事をする余裕があるようだな、千鶴?」
「そんなことは………っあ……」
 ない、と反論するよりも先に斉藤が胸の頂を指で強く弾いた。体が跳ねて、中に納まったままの斉藤のものを締め付ける。
「……っ!」
 漏れた声はどちらのものだったのか。
 締め付けられたものが収縮し、千鶴の中へと熱い滾りを注ぎ込む。注ぎ込まれた滾りが千鶴の意識を高みへと追いやり、やがて白く霧散してゆく。
 ハァと息を一つ吐いて、千鶴の中から自身を引き抜いた。だが、欲を吐き出したばかりだと言うのに、は萎えることなく、天を仰ぎ見るばかりで。
 体に灯った熱に浮かされるままに、再び千鶴の体に唇を寄せて紅い華を咲かせてゆく。一つ、また一つと白い肌を朱が彩りながら散ってゆく。
 溺れている。
 女に溺れる部下を幾人も見て、必要とあらば処断もしてきた。その度に馬鹿な事を、と内心思っていた。だが、今なら、女に溺れた部下達の気持ちが多少わかる。
 艶めかしい表情も、吐息も、何もかもが斎藤を魅了して止まない。何度、その体内に欲を吐き出しても、鎌首を擡げるばかりで絶えない。
 千鶴は初めてだから、優しくしようと思っていた。だが、こうまでも千鶴の全てが斎藤を魅了して煽るから、それも無理な相談だ。
 若干、千鶴に抱いた申し訳ないと思う気持ちもやがて、浮かされる熱に流され消えゆく。
 ――夜の帳が上がり、空が白み始めても甘やかな睦言は終わらなかった。

 ◆

 髪の感触を楽しみながら、乱れた黒髪を梳いた。どれだけ触っても、深く寝入っている為に千鶴はそれに気づかない。
 無理をさせてしまった事に苦笑を零してから、音を立てないよう静かに床を抜け出す。
 和らいだとは言え未だ冷たい空気が、体から熱を奪ってゆくのを何処か心地よく感じながら、水場へと足を運ぶ。桶に溜めた水で顔を洗い、体にまとわりつく眠気を飛ばしてゆく。
 日は既に高く昇り、晴れ渡った青空は澄んでいて清々しい。
 あの日もこんなに澄んだ青空だったのだろうかと、空を仰いで思いを馳せる。
 新選組結成以後受けた恩義に報いる為に会津に残ると決めたのは斉藤自身で、それを後悔した事はない。
 新選組と会津。
 どちらを選ぶか悩みに悩み、その結果、斉藤は会津を選び取った。
 きっと、あの時に戻ったとしても、悩んだ末に同じ選択をするだろう。だが、会津を選んだと言え、選ばなかった選択肢に未練がないと言えば嘘になる。
 新撰組は斉藤自身を認めて、理解してくれた場所だ。
 左利きの斉藤を卑怯とも無作法者とも蔑むことはなく、むしろそれでいいのだと認めてくれた。
 認めて貰ったあの瞬間の喜びを、この人達の為なら命も惜しくないと密かに誓った決意を忘れる筈などない。選ばなかったからと簡単に切って捨てられる場所ではない。
 新選組もそこに集う者も斉藤にとっては他に並ぶ物のないかけがえのない存在。皆で共にありたかった。だが、時代の流れはそれを認める事はなく、ある者とは死に別れたし、ある者とは志を違えて別れた。そうやって一人、また一人と減っていった。
 ――そうして自分も、新選組と……土方と道を別にした。蝦夷で戦うのではなく、会津の恩義に報いる事が正しい選択だと信じて。
 そして、土方は命を落とし、斉藤は生き残った。
 生きていて、千鶴と共にあれる事を喜ぶ一方で、土方の死が羨ましいとも思う。
 決して、死を望んでいた訳ではない。だけど、武士として死に場所を求めていたのも確かで。頭の片隅で武士として散った土方を羨む気持ちがある。
 武士として散れなかった自分が悔しくて、武士として散った土方が誇らしくて、羨ましくて、哀しくて。
 綯い交ぜの感情のどれが正しいのか、斉藤にもよくわからない。どれも正しいのかも知れないし、どれも正しくないのかも知れない。自分の胸の内すらよくわからない。ただ、胸を重苦しく締め付ける気持ちがあるばかり。
 淀んだ気持ちを吐き出すように、空に向かって息を吐いた。
 青空を白い雲が風に乗って渡り、鳥達が囀りながら横切っていく。あの日も空は常と変らず晴れて、雲が流れていたのだろうか、と再び思考がそこへと戻る。
 今と変わらない晴れ渡った空の下、どんな気持ちを抱えて、土方は孤立無援となった場所へと馬を走らせたのだろうか。
 行けば、生きて戻れないとわかっていた筈だ。それでも、仲間を見捨てられなかったのだろう。努めて、冷酷な鬼であろうとした土方が本来は情に厚い人であることを、斉藤は知っている。
 そうして仲間の元に辿りつく前に撃たれて、息絶えるまでの短い間に何を思ったのだろうか。
 その正確な答えを知る術は既にない。答えを知っているのは土方だけで、その土方は既にこの世にいない。
 ――そう、いないのだ。
 今更ながら、千鶴の言葉が胸にドロリと沁み渡っていく。
 あの時、土方と斉藤の道は別たれた。互いがもう二度と生きて会う事はないとわかっていた。わかっていたけれど、それでも、斉藤にとって土方は忠誠を捧げるに足る相手で、絶対に死んで欲しくない人物だった。たくさんの仲間が戦いの最中に命を落としていったが、この人だけは死んで欲しくないと思った人だった。
 夢見て願っていた武士としての集大成が土方であり、新選組だった。出来るなら、ずっと変わらずあって欲しかった。無くしたくなかった。
 武士として散っていった土方を誇らしく思うのも、その死に様を羨ましく思うのも全て偽りない気持ち。そして、寂しくて、悲しいと思うのも偽りない本当の気持ちだ。
 国の為、将軍の為、新選組の為。様々な名目の下、数えきれないほどの敵を……あるいは仲間を殺してきた。
 そんな自分がたかだか一人の死を寂しくて悲しいなんて思うのはおかしいのかも知れない。けれど、覚悟していたとは言え、その死が悲しい。
「……そうか、やはり悲しいのか」
 空を仰いで、呆然とした調子で呟く。
 試衛館の頃から幹部陣とはずっと一緒だった。酒を飲んでは騒ぎ、国の未来を憂いて討論を交わし、刀を交えてお互いを高めあった。青空の下、のんびりと過ごした事もあったし、雨の中を濡れて帰る事もあった。
 あの頃は誰もこんな未来を予測してなくて、武士になる事だけを夢見ていた。
 上京してからも、この国の未来を憂いて戦ってきた。戦争は終結を迎えたが、誰もその結果を見届ける事無く死んでいった。この先、どんな未来が来ようとも、誰もそれを知る事はない。この広い空の下、何処にも志を共にした者はいないのだ。
 ジンと目頭が熱くなる。
 堪え切れなかった涙が眼尻から流れて、地面で弾けて吸い込まれてゆく。
 たった一滴。
 言い表せないたくさんの気持ちを滲ませた涙は、他の誰でもない鬼が為の涙だった。


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