鬼が愛でる花
「知っているかい、土方君」
 何気なく話を振ってきた大鳥の声が酷く楽しそうなことが、やけに気にかかった。
 どう見ても土方の反応を楽しみにしているのが明白な雰囲気に、土方が眉間にシワを寄せる。
「何をだよ?」
「雪村君に想いを寄せている若者がいるらしいよ」
 大鳥の口元に、何処か面白がっているような笑みが浮かんでいるのは決して、土方の気の所為ではないだろう。
 泣く子も黙ると評判だった新選組の鬼副長をからかおうだなんて命知らずな話だが、割と平然と大鳥はそう言った事をやってのける。それで迷惑を被るのは他の部下だったりするのだがここでは割愛しておこう。
 大鳥の言葉に一つ瞬きをし、次いで興味なさそうな相槌を返す。
「……ほぉ」
「おや。気にならないのかな?」
 土方の反応に、大鳥が意外そうな声を上げる。
 この反応だけで大鳥がどんな反応を期待していたか薄ら想像がつく。だが、生憎と大鳥の思い通りになるつもりは土方には一切ない。
「――当たり前だろ。あいつが誰を好きだと思ってやがる。他の誰でもねぇ。この俺だぜ?」
「はは……御馳走様と言っておくべきなんだろうね」
 口端を持ち上げて色香タップリに笑う土方に、流石の大鳥も苦笑を零す。
 面白い反応が見れると思って仕掛けた事に惚気で返されては溜まった物ではない。
「残念だったな。期待した反応が見れなくてよ」
「君を雪村君関係の話題でからかうのは今後止めておくよ」
「ん?」
「嫉妬する土方君が見れるのならともかく。また惚気られたら堪らないからね」
 苦笑いを浮かべながら溜め息を一つ零す大鳥に、土方が笑った。

 ◆

 白く儚い雪花が空一面を舞う。
 吐き出す息すら凍りそうなほど寒い北の大地の冬を、暖められた部屋の中から窓越しに眺めながら千鶴が微かに眉を顰めた。
 寒く厳しい北国の冬とて、やがてその寒さを和らげ花咲かす季節が来る。
 常なら楽しみなその季節が訪れたら、此処は戦場になる。死力を尽くす、最後の戦いの幕が切って落とされる。
 そうすれば、土方もその戦場へと出向く――新選組を率いる者として、生きて戻ってくる可能性の低い戦いへと足を向けるのだろう。
 此処が戦場になる事も、土方が戦いに赴く事もわかっていた。何があっても、戦いに赴く事を止めないだろう事も知っていた。
 頑固で真面目で不器用な土方は、近藤から託された新選組を放り出せる人ではない。むしろ、新選組と共に果てる事も辞さない人だ。
 全てを知っていて、それでも土方の傍にいる事を選んだのだ。今更それをどうこうとは思わない。それでも、と願ってしまう。
 死んで欲しくなんて、ない。
 戦場に行って欲しくない。
 ずっと共にあれたらどれだけ幸せだろう。けれど、土方が他の何よりも、誰よりも一番に千鶴を選ぶ事なんてない。
 刻一刻と歩みよる季節の訪れをこんなにも重苦しい気持ちで思った事なんて初めての事だ。
「――何を暗い顔をしてやがる」
 コンと軽い衝撃が千鶴の頭を襲う。
 振り返った先には土方が立っていて、何処か呆れを含んだ表情で千鶴を見下ろしている。
「あ、お帰りなさい」
「おう。んで? 何を暗い顔してやがんだ?」
「……そんな顔をしてましたか?」
 何気なく頬を触りながら、土方に問う。
 確かに、思考が暗い方へと進んだ自覚はあるが、表情まで暗く沈んでいたなんて思いもしなかった。
「お前は顔に出やすいからな」
「う……」
「昔っから変わらねぇなぁ」
 クツクツと低く楽しそうに土方が笑う。
 その笑い方は何処いじめっ子のようでいて、今は居ない誰かを訪仏として胸の奥がチクリと痛む。
 まるで猫のようだった気まぐれな青年は既にこの世を去った後だ。青年だけじゃなく、他の多くの仲間達も次々とこの世を去ったり、袂を別った後で。
 あんなに大勢いたのに今では京にいた頃からの隊士なんて数えるほどしかいない。
「こ……これでも多少は成長して変わっていてですね……!」
「ほぉ? まぁ、多少は……なぁ」
 チラリと向けられた視線を追っていった千鶴が顔を真っ赤にして土方に背を向ける。
「!! ど……何処見てるんですか!」
 千鶴の行動に土方が小さく苦笑を浮かべる。
 五年。
 言葉にしてたった二文字のその歳月は、人を成長させるには十分な年月と言えるだろう。
 五年前、出会ったばかりの頃はただ幼いばかりだった少女も、咲きかけの花のような華やかさを伴って、少女の域から脱しつつある。
 細く丸みを帯びた身体に、折れそうな手足、花が咲き綻ぶような笑顔……既に男装は形ばかりで意味をなさず、皆千鶴の性別を知っている。
 それでも、誰もが今までと変わらぬ態度を取っているのは男だとか女だとか言う次元を超えて、仲間だと思っているから他ならない。長い年月、苦楽を共にした仲間の性別が違っていた所で今更何だと言うのだろう。
「千鶴」
 柔らかい声音が千鶴を招く。
 執務室の机に備え付けられた椅子に腰を下ろした土方が千鶴を招きながら嫣然と笑う。大人しく近寄ってきた千鶴を抱きよせて、土方が目を閉じた。
 土方を支えたい――その一心で海を渡り、激戦地となる地へとやってきた少女を馬鹿な奴と思う反面、愛おしく感じたのは今からほんの少し前の話だ。
 共にあれば死ぬ確率が高いのを知っていて、それでも土方の為に花開いた少女を手放す気にならないのは、離れていた三か月でどれほど千鶴に支えられ、千鶴を大切に思っていたかを思い知らされたからに他ならない。
 例え、土方の傍でその命果てる事になろうとも、手放そうとは思わない。ただ、最後の瞬間を共に迎えるだけだ。
 一途な想いの元に蕾綻ばせた少女は、鬼が愛でる唯一の花。
 例えそれが誰であろうとも、渡すつもりはない。名も知らぬ隊士なら、尚更。
 大鳥に言った言葉に嘘はない。
 自惚れでも何でもなく、千鶴が好きなのは土方なのだ。誰が千鶴に想いを寄せていようと何の関係もない。手放すつもりは一切ないのだから。
 だが、それでも他の誰かが千鶴に想いを寄せていると言う事実が、面白くないのも確かなのだ。

 ◆

「雪村」
「はい?」
 名前を呼ばれて、急ぐ足を止めて後ろを振り返った。
 振り返った先に佇むのはこの地で合流したと言う年若い青年だ。
 何度か、土方の執務室に書類を持って来た事があったように、千鶴は記憶している。だが、あくまでもその程度の付き合いで、こんな所で呼び止められるような覚えは一切ない。
「あの……?」
「あの……その……だな」
 声をかけたは良いが言い難そうに言葉を濁す青年に、千鶴が怪訝そうに首を傾げる。
 一体、どうしたと言うのだろうか。
「何の用でしょうか?」
「えっと……だな。不躾な質問なんだが……」
「?」
「雪村は、あの人と付き合っているのか?」
「…………はい?」
 何処か間の抜けた声を上げてしまったのは仕方ないだろう。
 目の前の青年が言う「あの人」が土方の事を指しているのは間違いないだろう。だが、土方と千鶴が付き合っていたとして、それが一体青年に何の関係があると言うのか。
 最後の戦いを目前に控えて、付き合うのを止めろとでも言うのだろうか。
 青年が問うてきた質問の意味を測りかねた千鶴が困ったように眉間にシワを寄せた。
 質問の意味も何も、青年の質問が意味する所はたった一つなのだが、一途に土方だけを想っている千鶴は存外、その手の事に疎い所がある。
 質問の意図が伝わっていない事に気付いた青年が溜め息と共にガックリと肩を落とす。
「あの、大丈夫ですか?」
 青年の溜め息も、項垂れた理由も分からず千鶴が青年を窺うも、青年は千鶴の鈍さに苦い笑いを浮かべるばかりだ。だが、それで緊張の解けた青年が意を決したように口を開く。
「あのさ、雪村。俺、お前の事が好きなんだ。だから……あの人と付き合ってないんなら俺と……」
 言いかけた言葉が最後まで音になる事はなく。
「悪いがな……」
 青年の言葉を遮るように生まれてきた音は確かに、土方の物で。
 それを土方の声だと認識するよりも先に、肩に手をかけられて引き寄せられる。
 引かれた勢いのまま飛び込んだのは土方の腕の中で、そのまま片腕で抱き止められて、千鶴の思考が真っ白になる。
「…………え?」
 目の前の青年が何処か呆然とした表情で土方陸軍奉行並と呟いているのが見える。ならばやはり、背中に感じる体温は土方の物なのだ。
 その土方の体温を背中に感じていて、前方には片腕が千鶴を抱き止めている――それは、即ち。
「☆◎×◆〜〜〜っ!?」
 時間差で混乱を極めた頭が意味を成さない言葉を紡ぐ。
 とにかく今の状態から抜け出そうと暴れれば、更に強く抱き止められるばかりで、一層頭が混乱する。
「ひ、ひひひひ土方さん!?」
「少しは落ち着け」
「だ……だってだって……い、一体何を……」
「何、単なる忠告だ」
「ちゅ……忠告?」
 土方の言葉の意味が分からず、千鶴が首を傾げた。一体、何に対する忠告だと言うのだろう。
「鬼が愛でてる花を隙あらば掠めようなんてふてぇ野郎がいるって言う話でな」
 腕の中に納まる花を愛おしむように口元にはそれは綺麗な笑みが浮かんでいるのに、ジロリと目の前の青年を一瞥する視線はそれだけで人が斬れそうな程に鋭い。
「すっぱりと諦めるんだな。花に懸想すれば、鬼に何されるかわかんねぇぜ?」
 あまりにも直接的な宣言に、青年が青ざめた。
「おら、わかったらさっさと行っちまえ」
 まるで子供をあしらうように、土方が手を動かした。
 それがきっかけと言う訳ではないだろうが土方が姿を現した後、ずっと固まっていた青年が踵を返す。
「あ……!!」
 千鶴が声をかける暇もなく、立ち去ってゆく青年の姿があっと言う間に見えなくなる。
「ひ……土方さん! 何してるんですか!」
「何って……忠告しただけじゃねぇか」
「……」
 果たして、逆らったら命が危うくなるような諌める言葉を忠告と呼んでいいのだろうか。
 あれはむしろ忠告と言うよりかは脅しと呼んだ方が含んだ意味合い的には正しく、言葉としてもより近い。
「……千鶴」
「……はい?」
 抱き止めたままだった千鶴を解放する。
 自由になった千鶴が後ろに佇む土方を振り返った。強い意志を宿した視線がただ真っ直ぐに千鶴を射抜く。
「俺だって嫉妬の一つや二つ、するんだぜ?」
「……………………え?」
 落とされた言葉を聞き止めて、意味を咀嚼する。
 何気なく聞いた言葉の意味を理解すれば、たちまち千鶴の顔に朱が上がった。
 それはつまり、土方はあの青年に――――。
「えええええっ」
「何だ……その反応は」
「え、だって土方さんが……」
「お前は俺を何だと思ってやがる」
 あたふたとする千鶴の姿に、土方が小さく溜め息を吐いた。
 青年への忠告は咄嗟の行動だったが、思い起こせば随分と直接的な行動に出たものだ。
 千鶴に想いを寄せる存在が面白くないと思っていた。けれども土方は千鶴より遥かに年上なのだから、例え告白される現場に居合わせても大した事はないだろうと思っていた。
 どうやら今後はその認識を改めなければならないらしい。
「千鶴、行くぞ」
「あ、は……はいっ!」
 千鶴へと向ける想いが想像以上な事に苦笑を零しつつ、土方が踵を返した。その後を千鶴が半ば小走りについてゆく。
 たった一人の為に咲いた花は、今日も鬼に愛でられて雪深い北の大地で笑っている。


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