新選組の食卓事情
 青く晴れ渡った空が暮れて、橙に染まってゆく。
 長かった一日が刻一刻と終わりに近付いてゆく中、新選組屯所内も俄かにざわめき始める。
 誰もが楽しみにしていた夕餉の時間が来たのだ。
「あー、腹減ったぁ〜」
「今日もうまそ〜」
 ガヤガヤと入ってきて、既に暗黙の了解となった各々の固定の位置に腰を下ろしてゆく。
 既に配置された御膳に乗せられているのは、御飯と汁物、焼き魚と漬物。一部の乱れもなく綺麗に完璧に盛りつけられたそれらは素晴らしいの一言に尽きる。
 ささやかだが、稽古や巡察で身体を動かした隊士達の腹を満たすには十分な夕餉だ。無論、それで足りないと言う隊士達は他者のおかず争奪戦を始めるのだが。
 奪い奪われ、一瞬の油断が命取り。
 新選組の夕餉は戦争なのだ。うかうかしていると全ての食べ物を奪われる。ある意味、弱肉強食と言う言葉を強く意識してしまう場所。
「ところで、今日の当番誰だ?」
「今日は斎藤さんみたいですよ。すごい綺麗な盛り付けですよね」
 何気ない永倉の問いに千鶴が答える。
 斎藤の名前が出たその瞬間、ザワザワと揺れていた空気がそれは見事に凍りついた。
 皆が皆、自分の目の前に置かれた御膳に視線を落として押し黙っている。
 時折、斎藤の飯かとか、誰かあいつに料理をとか、犠牲は誰だとか聞こえてくるのは何故なのだろうか。
 事情が呑み込めない千鶴だけが一人、小さく首を傾げる。苦笑を零しつつ、原田が千鶴を手招いた。
「あんま料理に手ぇつけんなよ」
「え……ど、どうしてですか? こんなに美味しそうなのに……」
「……まぁ、見た目はな」
「……原田さん?」
 何処か遠い目をしつつ、原田が呟く。ますます訳のわからない千鶴が再び、首を傾げた。
「あのな、一君の作る飯って見た目すっげぇ綺麗だし、旨いんだ。でも一つ問題があってさ」
「問題……?」
「大体旨いんだけどよ、たま〜に大当たりがあってよぉ」
「すごく美味しいって事ですか?」
「千鶴ちゃん、逆だよ、逆」
 沖田が笑いながら、手を横に振る。それに同意するように藤堂や原田が頷いた。
「大当たりでまっずいのがあるんだよ、斎藤の料理は」
「まずくて悪かったな」
 永倉をジロリと睨みつけつつ、静かに襖を開いて件の斎藤が姿を現す。その手にある物を見て、千鶴が眉間にシワを寄せた。
 斎藤が片手に持つ包みは確か、土方の生家で作られていると言う万能薬だ。名前を石田散薬と言ったか。斎藤が酷く愛用していると言うその薬の効果は眉唾物……とまではいかないが、かなり胡散臭いと原田から聞いている。
「斎藤さん……それは……」
 指差された石田散薬に視線を落として、それから何事もなかったように視線を上げた。強い光を宿した瞳に真っ直ぐに見据えられて、千鶴がたじろいだ。
「石田散薬だ」
 短く淡々と発せられた言葉に、それは知っていると突っ込んだ人間が果たして何人いただろうか。
 生憎とそれを音として発した者はおらず、心内の無音の突っ込みを察する事が出来る人間もいない為、正確な数はわからない。が、恐らくこの場にいたほとんどが突っ込んだのではなかろうか。
 何か言いたげな千鶴や周囲の視線を物ともせず、手にした薬を脇に置いて斎藤が自身の席へと腰を下ろす。
「おーし、揃ったか? んじゃ、食うか」
 当たりか外れか、ある意味博打のようで怖い物があるが、そもそも当たるのはたった一人なのだ。隊士達の人数から考えて、当たる確率的にはかなり低い。
 意を決したように各々が箸を手に取って、目の前の膳へと突撃を始める。
 そして。
「――――ぐはぁっ!!」
 断末魔の声と共にもんどり打って引っ繰り返ったのは、他でもない永倉だ。
「な……永倉さん!?」
「新八が当たったか」
「しんぱっつあん、当たる率高いよな〜」
 倒れ込んだ永倉を横目に、原田や藤堂達が料理へと口をつけてゆく。
「あ、千鶴ちゃん。もう食べても平気だよ。永倉さんが身を持って犠牲になってくれたからね」
「え……」
 オロオロする千鶴の横を無言で通り過ぎた斎藤が手にしていた石田散薬を永倉に備えるように静かに置いて戻ってゆく。
((その為の石田散薬なんですね……))
 斎藤が石田散薬を持っていた理由が判明して、疲れ果てたように千鶴が溜め息を落とした。
「……割といつもの事なんですか?」
「えー、うん。斎藤君の当番の時はいつもの事だよ」
「……そうですか」
 手にした杯を傾けながら、沖田がそこはかとなく黒い笑顔を浮かべる。
「でも、良かったね、千鶴ちゃんじゃなくて」
「……はい?」
「本当だよなー。しんぱっつあんだからあの程度だろうけど、千鶴が口にしてたら医者沙汰だぜ、絶対」
「まぁな……」
「…………喜んでいいのかわからないんですが……」
 力説する藤堂に、原田が同意を示す。
 ワイワイと話す沖田を含めた三人に疲れ果てたような溜め息を再度、千鶴が吐いた。
「雪村」
「はい」
「気にせず食べるといい」
「……え、えっと……はい」
 何度目になるかわからない溜め息をもう一度だけ零して、千鶴も膳に向かう。
「いただきます」
 丁寧に手を合わせてから箸を取る。
 少し考え込む仕草を見せてから、温かそうな湯気を立てる汁の入った碗を手に取った。ジンワリと手に伝わる温度が気持ち良い。
 ゆっくりと碗に口をつければ、フワリと味噌の香りが漂う。
「……美味しい」
「外れさえなけりゃ旨いんだよ、斎藤の飯は」
「文句があるなら食べるな」
「別に文句なんて言ってねぇだろ。褒めてるんだぜ」
「……褒めてるようには聞こえなかったが」
 小さく小声で斎藤が呟いてみるも、対して気にはしていないのか、そのままモソモソと飯を口へと運び続ける。
「斎藤さん」
「何だ」
「美味しいです」
「……そうか」
 フワリと笑う千鶴に、斎藤の纏う空気が柔らかく変化する。
 何だかんだと、斎藤が千鶴を気にかけているのは幹部なら誰もが知っている事だ。もっとも、それは土方の命令あっての事でもあるが。
「……ところで、大当たりってどんな味がするんですか?」
「…………………………あのさ、知らなくてもいい事ってあるんだぜ?」
「え?」
 タップリ空いた空白の後、藤堂がボソリと呟く。
 その目が何処か遠くを見ている気がするのは気の所為だろうか。
「口に出すのも嫌になるくらいすごい味みたいだよ? なまじ、斎藤君の几帳面な性格が災いして見た目だけは完璧だからね」
 空にした杯に新たに酒を注ぎながら、沖田が笑う。
 本人を傍にして堂々と言ってのけるのは、直接的な厭味だろう。
「そ……そうですか」
「永倉さんの刃金胃袋でも耐えられない料理だからね。気をつけてね、千鶴ちゃん」
「は……はい……」
 楽しそうに忠告する沖田に、千鶴が神妙な顔で頷いた。
 その傍で何やら考え込むように沈黙している斎藤には誰も気付かないまま。

 ◆

 自室の行燈に火をつけて、千鶴が腕を伸ばす。
 手先が器用で何でも完璧に出来そうだと思っていただけに、斎藤の料理は意外だった。
 ある意味では想像は裏切られていないが、違う意味では裏切られている。たった一人分だけ博打要素があるなんて、変わった腕前で変に感心してしまう。
 斎藤の料理に端を発した夕餉時のドタバタを思い出して、千鶴が小さく笑みを浮かべる。
 騒がしかったが、とても楽しかった。あんな賑やかな夕餉は網道と二人っきりの生活では知る事はなかっただろう。
 大当たりを引いて倒れ込んだ永倉には悪いが、ああ言う賑やかさは悪くない。
「雪村。今、いいだろうか」
 行燈の仄かな明りが、斎藤の影を浮かび上がらせる。
「は……はいっ!!」
 慌てて千鶴が居住まいを正すのと、斎藤が襖を開けて入ってくるのはほぼ同時。
「どうかされましたか?」
「頼みが……あるんだが」
 斎藤が千鶴の部屋を訪ねてくるのは珍しい。斎藤が千鶴に頼みはもっと珍しい。
「頼み……ですか?」
「料理を、教えて貰えないだろうか」
「料理を……?」
 不思議そうに首を傾げる千鶴に、斎藤が無言で頷いた。
「それは構いませんけど……でも、どうしてですか? 斎藤さん、十分料理出来るじゃないですか」
 《大当たり》の存在さえなければ、見栄えも味も完璧だ。今更、千鶴から斎藤に教える事はない筈だ。
「いや、今のままでは駄目だ」
「?」
「俺の当番の度に石田散薬が使われていたら土方さんが困るだろう」
「…………」
 やっぱりと言うか、何と言うか。
 実に斎藤らしい言葉に、千鶴が苦笑を零した。
「斎藤さんらしいですね。……わかりました、私で良ければお教えします」
「すまない」
 斎藤が淡く口元に笑みを刻む。
 滅多に見られないその笑顔に、千鶴が頬を真っ赤に染め上げた。
 此処でその笑みは反則ではなかろうか。
 思いがけない斎藤の笑顔に千鶴がオタオタと挙動不審な行動を取る。それを眺めながら、斎藤が更に笑みを深くした。
「…………それに――――」
 ボソリと呟かれた言葉は、千鶴の耳に届く事はなく。
 千鶴に料理を教わる本当の理由は、斎藤の胸の内に仕舞われたまま、誰にも知られる事はない。


template : A Moveable Feast