雰囲気的な10のお題 穏

帰り着く場所

「破道の三十三 蒼火墜!」
 凛とした声が響き、掌から放たれた蒼き炎が爆ぜて大気を揺るがした。
 純白を揺らして倒れ込んだ虚が二度と動かないことを確認して、雛森は詰めていた息を吐いた。とたん、その辺りに張りつめていた空気が和らいで、知らず隊員達も安堵の息を零す。
 いつだって、虚の討伐は命賭けだ。
 油断と慢心が危険を呼び込み、命を脅かす。冠している位が高ければ高いほど、呼び込む危険は致命的となる。
 雛森は副隊長だ。隊を束ねる藍染の次に隊を預かり束ねる、上位の役職。
 討伐中に緊張を緩める事は許されない。それは部下全員の命を危険に晒すことになるから。だけれども、そうやって気を張り詰めていても、犠牲が出る時は出るのだ。ちょうど、今のように。
 地に倒れ伏す部下を重苦しい気持ちで見つめる。
 今まで何人の部下をこうやって重苦しい気持ちで見つめてきただろうか。守らなければならない部下の死を何度見てきただろうか。
 守りたいと願っても、その為に努力しても、それは手からすり抜けて零れてゆくばかりで。
 雛森の弱さを見せつけられるのはいつもこの時だ。守りたいと願う雛森を嘲笑うように、命は失われてゆく。
 ――どうして、死神になろうだなんて、思ったんだろう。部下すら守れないのに、どうして。

 ++

「雛森がいない?」
「えぇ。昨晩から姿が見えなくて。多分、何処かにいるとは思うんですが……」
 眉根を下げながら、響が日番谷に事情を説明し始める。
 時折、相槌を打ちながら響の話に日番谷が耳を傾ける。そうして、最後まで聞き終えて軽く溜め息を吐いた。
「事情は分かった。が……何で、毎回お前らは俺を訪ねてくるんだ。俺は別に雛森の動向を監視してる訳じゃねーんだぞ」
「雛森副隊長の姿が見えなくなったら、日番谷隊長に聞け。五番隊の鉄則なんですよ?」
 ニッコリと強かに、響が笑う。
 ガクリと肩を落としたのは日番谷で、あながち間違っていない事実に大爆笑を始めたのは、乱菊だ。
「あのなぁ……」
「あはははは!! よくわかってるじゃない、五番隊」
「……松本」
 ジロリと睨みつけてみるも、笑い続ける部下の笑いは一行に止まらない。
「……雛森副隊長は優しい方ですから」
「……」
「守れなかった自分を責めて、何処かで落ち込んでるんだと思うんです。僕が行った所で何の解決にもなりませんから」
 何処か寂しそうな雰囲気を纏って、響が笑む。
 良くも悪くも真面目な雛森は、部下の前では笑うだろう。例え、どれだけ落ち込んでいても、悲しくても、部下に心配をかけまいと笑うだろう。
 それが一層、心配をかける事にも気付かずに笑い、後で一人泣くのだ。
 部下に心配をかけまいと思っての行動だろうが、何処か物悲しい気持になる。
「雛森副隊長の事、宜しくお願いしますね。日番谷隊長」
 一礼をして、響が十番隊隊舎を去ってゆく。
 残された日番谷の落とした深い溜め息が辺りに霧散して、消えた。

 ++

「こんなとこにいやがったか」
「え」
 間近で聞こえた声に、ハッと我に返った。
 高い木の枝に腰を下ろしている雛森の所に、重力を感じさせない身軽さで上って来たのは、やはりと言うか日番谷で。
 幼い頃から、日番谷は雛森を探し出すのが得意だ。
 日番谷曰く、雛森の居場所は単純で分かり易いのだそうだ。雛森本人にそのつもりはないのだが、何度も何度も容易く見つけられているのだから、否定する要因がない。
「日番谷君? ……どうしたの?」
「お前ん所の三席が十番隊に来てな」
「響君が……」
 温和な笑みを浮かべて、雛森を補佐する青年を思い出す。
「――お前は、こんなところで何やってんだ」
 静かな日番谷の声が、雛森に届く。
 雛森を見据える瞳も静かで、何処か冷たさすら感じるほどだ。
「何……って」
「部下が死んだのは聞いた。それを悲しむ気持ちも、自分の力のなさを悔いる気持ちもわかる。だが、部下に心配かけてまで何をしてんだ、お前は」
 的を得た言葉が雛森を揺さぶる。
 返す言葉に詰まって黙り込んでいる雛森に、日番谷が追い打ちをかけるように口を開く。
「お前の部下は死んだ奴だけか。違うだろう。俺のところに来た三席の奴だって、五番隊隊舎にいる奴らだって、お前の部下だろう。何度も何度も同じ事繰り返して……そんなに部下の死を見るのが嫌なら死神なんて止めちまえ」
 突き放すような冷たい言葉に、雛森が顔を上げた。
 静かで冷たい瞳が変わらず、雛森を見据える。雛森の答えを見極めようとするように。
「止める……? 死神を……?」
 突き付けられた選択肢をぼんやりと反芻する。
 死神を止める。
 そんな事、一度も考えた事もなかった。頭を過った事すらもない。
 幼馴染を、面倒を見てくれた祖母を、近所の友人達を守りたいからと、志した死神。
 霊術院を卒業して、死神になって、副隊長の位を冠して。今までよりも重くなった責任と立場を不安に思った事も数知れずある。今回のように部下を失った事も数知れずある。
 けれど、そんな時ですら、死神を止めると言う選択肢は一度もなかった。
 どれだけ部下を失っても、どれだけ涙を流しても、どれだけ自分の力のなさを悔やんでも、一度も考えた事はない。
 大切な人達を守りたいと願った。
 今も絶えず胸にある願いを叶え続けれる場所は他の何処でもなく、此処なのだ。
 どれだけ迷っても、悩んでも、此処こそが雛森の帰り着く場所なのだ。
「……悩みは晴れたみてぇだな」
「ごめんね、いつも。心配かけて」
「礼ならお前の所の部下に言うんだな」
 誰よりも雛森を心配しているのは、雛森の一番身近にいる部下なのだから。
「うん。響君にもお礼言っとく」
 迷いが晴れたようなスッキリとした顔で、雛森が笑んだ。既に何度目になるか分からない溜め息を落として、日番谷が身を翻した。
「帰るぞ」
「うん!」
 先を歩く日番谷の後を追って、雛森が走り出す。
 悩んでも迷っても捨てる事のない場所へと帰る道を力強く、踏み出した。